El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

すずめの戸締り

アニメでしか描けない、「3・11鎮魂歌(レクイエム)」

Amazon Primeで公開されている冒頭12分に引き続いて神戸三宮のシネコンで鑑賞してきた。宮崎ー愛媛ー神戸ー東京ー仙台とロードムービー風に展開していき、あの3・11の日に戻る。私自身が住んだことがある(宮崎・神戸・東京)場所が多く、方言も・・・まあ、めっちゃ、そうじゃが。

アニメでしか描けないような地震を起こす神やそれを防ぐ守護者などの荒唐無稽さが、地震災害の唐突さ(=荒唐無稽さ)とシンクロして、最後まで引っ張る力はさすがに新海監督。一周回って、最後の扉の向こうで鈴芽(すずめ)が出会ったのは・・・と、ネタバレにならない程度で。

東京-仙台のドライブ中に流れる「懐メロ」をリアルタイムで聴いていた私のような世代向けなのかも。映画館には小学校低学年っぽい子供も多かったが、3・11そのものを経験していない世代にとってはどう映るのか・・・それはわからない。

破局 Audible

「内面のない男」の話

破局

破局

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Audibleで聴きました。平成生まれの作家による初の芥川賞受賞という作品(2020)。

主人公・陽介は慶応の4年生でラグビー部で鍛え上げた肉体をもち、勉強もそこそこでき、同級生の彼女・麻衣子がいて、その上1年生の灯(あかり)ともつきあうようになり・・・という、いわゆるリア充の男。

ところが、彼にはまったく内面がない(ように見える)。自分やパートナーの行動を心の中で客観描写し続けるが、その描写に主観的な考えはない。たとえば「セックスをした」「射精をした」と割と頻繁に描写するが、その時の自分の心理にはいっさい踏みこまない。

出身高校のラグビー部のコーチをしているが、そこにも「強くなって勝つ」という目的に向かう考えしかない。

自分の心理に踏み込まないというよりは、内面がないから独自の心理状態がないように見える。そういう「リア充なれど心の無い人間」というものを描いてみたかったんだと思う。

そういう内面のない人間はたしかに一定の確率で存在しているが、なかなかわかりにくい。朗読も意図的にか投げやりな読み方で、内面の無い感じをよくだしていた。・・・しかし、こうしてレビューを書いた後で考える・・・「はたして自分自身には内面はあるのだろうか?」

ぼけと利他

「ぼけ」が、利他に必要な「ずれ」を産み出す

伊藤亜紗さんが目下研究テーマとしている「利他主義」、単に他人(ひと)のために何かをしてあげるということではなく、何かをしてあげることが行為者である自分の中に何か変化を産み出す・・・。なので、何かをしてあげたことがされたほうにとって重荷や負担になってはダメ・・そこのところが難しい。してあげるという気持ちではなくて、そうすることで自分にも変化が生まれることがじんわりうれしい・・そんな感じ。ところが、世の中の誰かに何かをしてあげるという行為はどうしても「してやった」感、「してもらった」感を作り出すことがなかなか避けられない。

ところが、この本のもう1人の著者村瀬孝生さんは長年介護施設を運営している人で、彼の経験では、認知症といわれる老人とのやりとりの中では「してあげる」「してもらった」という関係にならない(ボケているから)訳で、そうすると利他的なよろこびがじんわりこみあげてくるらしい。つまり、「ぼけ」による「ずれ」が利他を純化してくれるみたいだ。

というような、「利他・ずれ・ぼけ」を巡る1通あたり10ページほどもあるメールのやり取りが36通に渡って繰り広げられる本。話はあちこち飛んで、ずれて、正直取り止めのないところもあるのだが、取り止めのなさがまた「ずれ」を産んで・・なんとなく「利他のこころ」が自分の中にも芽生えてくる。というか、わざとずらしているんではと思えるところも。

日常的に老人に接していて「ぼけ」に悩まされているのであれば、ちょっと違った視点から「ぼけ」を感じられるかも。利他のこころがちらりと見えてきたような(ぼけの人70人とおしゃべりしてきた日に思う)。

本心

2040年の日本のリアルが感じられる

本心

本心

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2022年に読み続けてきた平野啓一郎、彼の目下のところの最新長編「本心」(2021年5月刊行)を元旦から一気読み。平野啓一郎は2022は三島由紀夫の長大な評論にかかりきりだったようなので、長編小説はいったん「本心」で小休止なのだろうか。

小説の舞台は2040年日本。就職氷河期世代が還暦を迎えた頃だ。格差社会はさらに拡大し、一方でIT・AI・VRといった技術は進歩している。主人公の朔也(さくや)もリアル・アバター(依頼者になりかわって旅行したり、雑事をこなし、カメラやヘッドセットを通して依頼者は、アバターの行動を同時体験できる)というギグワークでなんとか生活をたてている貧困層の一人。

母親が「自由死」(本人の意志で死ぬことができる制度)を希望しながらもドローン事故で死んだ朔也は保険金で母のVF(ヴァーチャル・フィギュア VR空間内に再現された母親)を購入し、母親の過去に関わった人々とVFを通して関わりなおしていく。・・・と、そうした流れでゆったりとすすむ物語は、近未来だからだろうか妙に現実感がある。格差をうらんでの要人暗殺計画はその後の安倍元首相暗殺にもつながる。

他にも、コンビニの外国人労働者・ネット投げ銭・DVなどなど現在地点からこの小説世界まではきわめて近い。ストーリー展開も面白いが「こういう社会になるよね、きっと」感がすごい。

エンディングはぼんやりとはしてしまうが、後味の悪さはなく。正月読書としてはまあ、当たり。自分自身の自由死の可能性を考えてしまった・・・・。

素材の収集力といい、それらを物語に構成する力といい、平野啓一郎はすごい。日本のウェルベック?、いやウェルベック超え?

パーソナル トップ10レビュー(2022)

2022年は、世界的には、コロナ禍3年目・ロシアのウクライナ侵略で、なんとなく明確な未来像が描けないままに過ぎていく。5月に65歳になり「日々老化」という感じ。通勤回数がリモートワークで激減したままのため電車読書ができないかわりに、ウォーキング時にAudibleを聴くことが増えた。そんな2022年のブックレビューから選ぶパーソナル・トップ10レビュー。あらためて、一年は短い

 

①あらためて、平野啓一郎の才能におどろく

書籍やAudibleで2022年にもっとも読んだ小説家が平野啓一郎。7月に読んだ「マチネの終わりに」から始まり、ちょうどテレビドラマとシンクロした「空白を満たしなさい」、そして今年映画化された「ある男」、年末に向けては「かたちだけの愛」そして圧巻の「決壊」と、どれを読んでも面白いが、「空白を・・・」と「決壊」はアクがつよすぎる。まずは「マチネの終わりに」を福山雅治主演の映画とともに。

②「プーチンのロシア」から「ウクライナ危機」への読書

2021年、戦争の半年前からTimothy Sniderの著作を中心に読んで「プーチンのロシアはやばい」と思っていたのが2022年早々に現実化するという・・・驚きの予言的読書となった。

③COVID-19関連ではmRNAワクチン開発秘話を一通り読む

④「君の名は。」と「君の顔では泣けない」、男女入れ替わりが新展開!

「転校生(1972)」以来の男女入れ替わりというモチーフが新発想で生まれ変わった。爽やかな「君の名は。」そしてシニカルな「君の顔では泣けない」どちらも面白い。

⑤三体! 怒涛の中華SFにAudibleで80時間以上! 圧巻でした

⑥「古寺行こう」定期購読コラボ企画で奈良に京都にひとり旅

来年も10冊分の寺巡りは実施予定。

 

⑦哲学関連では「現代思想入門」が逆説的に哲学ばなれにつながる

おかげで哲学書・老後本・定年本の呪縛が解けるという好循環!インパクト大。

⑧伊良子清白を調べてきたことが学会発表につながる

ここで学会発表になるとは、意外な展開だった・・

 

⑨最新がん治療の矛盾がすこしずつ露見してきた

来年継続テーマ

 

⑩年末に「なりすまし」で「脳の中の悪魔」スザンナ・キャハランに再会

精神医療も、常に監視しておくべきテーマ 来年継続

⑪番外

読み残し・・・残り2冊読みきれず来年へ・・。大長編の部は、来年はその後「窯変源氏物語」へと進みたい。

参考

 

 

 

決壊(下) Audible

辛く長い話の終着駅は稲毛

上巻だけを聴いて・・・もうその驚異の展開で消耗し、それでなくても寒い冬にこの本を読み続けては暗すぎると思い自主規制してきたが、冬休み期間に入ったので今年中に読んでしまおうと連日2~3時間Audibleで聴き、なんとか完走。

弟が猟奇的に殺害された。そこからは猟奇犯罪にともなって起こるすべてのことが描かれ切る。兄・崇(たかし)を容疑者とみたてての京都府警の執拗な取り調べ(冤罪社会)、傍若無人なマスコミ、ネット社会。

一方で、鳥取の中学生の異常性の増幅から次なる殺人の発生、そこから真犯人・悪魔こと篠原へとつながるも・・・お台場や渋谷で爆弾テロを起こし自死。事件的にはそこで決着だが、そこからが真骨頂、人生を決めるのは持って生まれた遺伝子と環境か、犯罪と精神医学、死刑反対論、救済されない被害者問題、執拗につづくマスコミとネットのさらし攻撃、おそらくは平野啓一郎の持論を悪魔が残した映像の中で、そして崇が語るかたちで、まさに隅から隅まで語りつくされる。

そして語りながら、その思考の中に落ち込んで捉われて自らも精神の異常をきたし最後には稲毛駅のホームで電車に飛び込む。

暗澹たる小説で、誰にでもすすめるというわけにはいかないが。ここまで現代社会を解剖しながら描ける作家がいることは伝えたい。やはりすごい、平野啓一郎。

なりすまし(レビューその2)

「なりすまし」はさらに深い「アメリカ精神医療史」

さて、レビューその1を前提に「なりすまし」そのもののレビューを。

2009年に自分を生命の危機に落としかねなかった精神医療ーそこに不信感をいだいたスザンナ・キャハランはジャーナリストとして精神医療の世界の過去・現在・未来を文献やインタビューを通して調査していく。

まず描かれるのは、1960年代まで続いていた中世の風景とも見紛うような排除のための収容所的な精神病院(日本では今でも同じような状態の精神病院はある)。邪魔になった妻を社会的に葬るために精神科医に金を出して精神病と診断させ入院させた、などという黒歴史も描かれる。

そこに第二次世界大戦前後(ユダヤ系のフロイト派精神分析医が大量に米国に来たことに発する)に起こった精神分析ブームが加わる。怪しげな精神病院に精神分析とアメリカの精神医療に対する国民の不信感はその頃(1970年代)かなり高まっていた。

その不信感を爆発させたのが本書の中心に据えられる「ローゼンハン論文」。ローゼンハンという心理学者が自分や部下・学生に統合失調症のふりをさせ(なりすまし)、なんなく精神病院に潜入・入院し、その間に受けた役に立ちそうもない治療内容、診察時間などを細かいデータとして提示し、いかに精神医療がいいかげんなものなのかを暴露する論文がなんと1973年の「サイエンス」に発表された。

そして盛り上がる反精神医療運動が、精神病院の閉鎖や、診断基準の革命的な改訂(1980年刊行のスピッツアーによるDSM-III)につながっていく。ところが、ところが、スザンナがその論文の中身をジャーナリストとして執拗に追ってみると潜入したローゼンハンの記録やニセ患者の記録がローゼンハンの都合のいいように書き換えられていた疑いが浮上。さらに、さらに大半のニセ患者はそもそも存在もしない架空の人物だった可能性まで。多くの関係者はすでに死去しており真相は闇の中ではあるが・・・。

スピッツアーもローゼンハンの不正を知りながら、自分の仕事に役立つとみて見逃していたような様子もある。「いいかげんな精神医療」をただすのに「いいかげんな論文」が使われて、そこからDSM-IIIが生まれた、という皮肉。

そして、なんと、これらの改革の結果が・・・精神病院が閉鎖されても、その際のお題目だった「地域の中での精神疾患患者の受け入れと治療」なんて実現できるはずもなく放り出された患者はホームレスになるか刑務所に入ることに。精神病院に費やされていたコストが刑務所のコストになっていくとは・・・。

そしてDSM-IIIもその根本理念からずれまくり、新型うつ病やADHDのようなグレーゾーンの患者を作り出し、製薬会社の思うつぼに。

「いいかげんな精神医療」をただすのに「いいかげんな論文」が使われたが、その結果もまたかなり「いいかげんな精神医療を増幅させた」・・・それもかなり悪い方向に。そんな時代の果てに、スザンナ・キャハランの脳炎の誤診があり、われわれの生活もまたある。

というわけで、近代以降の精神医療の変遷と、なぜ現状がこんな状態になっているのかをじっくり読み解いてくれる一冊になっている。読後に疲弊はするが・・・。