かそけき を愛す
六角精児の「飲み鉄本線日本旅」のナレーションを含めて「壇蜜」の「幽(かそ)けき」ところが好きだ。その「かそけき」な感じが、夫の清野とおるのマンガで読むたびに味わえるのがうれしい。第2巻も「不思議ちゃん」感覚満載。
成瀬シリーズ、最終作
しかし、京都人も特殊だが、京大生もまたそうなのか・・・と思っていたけど、まあ普通。妙にプライドが高い人もいる。それはどこでも同じか。作者の宮島氏が京大文学部出ているそうで、それでこの京大礼賛は少し、臆面もないというか、恥ずかしい。
小説自体も・・・なんだかストーリーは乏しくて「成瀬礼賛」=滋賀出身の京大生礼賛みたいで。
世の中、出身大学に誇りをもっていても、あえてどの大学を出ているのかなんて、口にしない人もいるが、出身大学を「売り」にするのは、ちょっとだけ違和感がある。
妻との死生観の違いを解明したくて・・・読んでみた。
妻は死をまったくおそれない人であることを知り驚く。
死への恐怖、忌避感はどこから生じるのか、そしていかにして克服されるのか。
ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか、みんな悩んで大きくなった♬
人間にとって生きることよりは死ぬことの方がより善いということだけが、他のすぺてのこととは違って、例外なしに無条件的であり、他のものごとの場合のように、ある時ある人には、という条件がけっして付かない。
本当に哲学にたずさわっている限りの人々は、ただひたすらに死ぬこと、そして死んだ状態にあること、以外のなにごとをも実践しないのだが、のことに恐らくは他の人々は気づいてはいないのだ。さて、もしもこれが真実だとすれば、全人生をかけて死以外の他のなにごとをも望んでこなかったというのに、それが到来したら、ずっと望んできてそれを実践してきたそのことに憤慨するというのは、まったく馬鹿げたことだろう。
肉体は、それを養うことが避けられないために、無数の厄介をわれわれに背負わせるのだ。さらに、もしもなにかの病がわれわれを襲えば、それはわれわれの真実在の探究を妨害するだろう。肉体は、また、愛欲、欲望、恐怖、あらゆる種類の妄想、数々のたわ言でわれわれを充たし、そのために、諺にも言われているように、われわれは肉体のために、何かを真実にまた本当に考えることがけっしてできないのである。
もしもある人がまさに死のうとして怒り嘆くのを君が見るならば、それは、その人が哲学者(知恵を愛する者)ではなくて、なにか肉体を愛する者であったことの、充分な証拠となるのではないか。おそらく、この同じ人は金銭を愛する人でもあり、名誉を愛する人でもあるだろう。そのどちらかであるか、その両方であるだろう。
魂が汚れたまま浄められずに肉体から解放される場合がある。というのも、そのような魂はいつも肉体と共にあり、肉体に仕え、これを愛し、肉体とその欲望や快楽によって魔法にかけられて、その結果、肉体的な姿をしたもの、すなわち、人が触ったり、見たり、飲んだり、食ぺたり、性の快楽のために用いたりするもの、以外のなにものをも真実とは思わなくなるからである。そして、肉眼には暗くて目に見えないもの、しかし、知性によって思惟され哲学によって把握されうるもの、このようなものを、この魂は憎み、恐れ、避けるように習慣づけられてきたからである。
そのような魂は肉体的なものによってしっかりと捉えられているのである。肉体との交わりと結合が、そのような魂の中に肉体的なものを自然的なものとして植えつけてしまったのだ。それは、絶えず肉体と共にあり、肉体に習熟したためではないか。
肉体からの分離に際して、魂は、ばらばらに引き裂かれ、風によって吹き飛ばされて、飛び去ってしまい、もうなにもどこにも存在しないのではないか、と恐れることはないのだ。
第2部 読み終わった・・・
ちょうど確定申告の時期に重なって、追加徴税にゲンナリしていた時期だっただけに「ああ、こうやって社会の仕組みとして自分の働きがかすめ取られてるんだな」と共感 する。
自分の能力で価値を産み出す者と、その価値にたかる役人や大衆。たかることがあまりにも平然と、合法的に、まるで能ある者からむしり取れとばかりに行われ、価値を産み出すことにゲンナリ・・・あ、このゲンナリ感って、強烈な税率を「喜んで払いなさい」と言われている自分と同じじゃん。
そして、生産者は、価値を産み出すことをやめる。国は衰退していく。このメカニズムって共産主義で一回経験したよね。
今は、それがより巧妙に、社会保険料やら消費税やら。挙句に「給付付き税額控除」!いい加減にしてくれよ、ばらまいて票を集めようとするなよ、のばらまかれた価値は「オレが収めた税金だ!」と、政局にもつながったよ。
第1部 500ページ
第2部 600ページ
そしてなんと
第3部 770ページ!