El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

雨の日はソファで散歩

14年前の過去の自分に再会、長く続けているとこんなこともある

なんだか、最近書店で見かけて買ってしまい、半分ほど読んだところで昔読んだことがあったような気がして、何気なく自分のブログを検索したところ・・・ブログにも書いていた・・・↓ うーむ

「大酒大食の話」の中に菅茶山の書いたものとして

「すべての酒は小杯にて一日半日ものむは、覚えず量をすごして つもりては病をなす、大杯にておのれが量だけ一度に飲むものは、酒の力一時に出つくす故に害なし」。P100

2合なり3合と自分の量を決めて、サクッと飲んで終わりにするということだろう。盃でさしつさされつでは、量が把握できずいつの間にか過ごしてしまう。自分は、日本酒で言えば、現在は2合。120mlのコップ酒なら3杯という自覚はある。

黄色い家 Audible

とにかく凄い!川上未映子にしか書けない女子目線の底辺小説

女子目線の底辺小説。このジャンルはいままであまりなかった。

ともかくリアリティがある。川上未映子はwikiによると「大阪府大阪市城東区に生まれる。大阪市立すみれ小学校、大阪市立菫中学校を経て大阪市立工芸高等学校でデザインを学ぶ。高校卒業後は弟を大学に入れるため、昼間は本屋でアルバイト、夜は北新地のクラブでホステスとして働いた。」とある。水商売にしても金銭感覚にしても経験なくしては書けないことではないか。(とにかくすごい小説だ)ビブ姐さんの「金の論理」サイコー!

「水車小屋のネネ」のような善人村、綿矢りさの描くぬるま湯村、女性が書く小説があるが、自分にとってリアルなのはやはり弱肉強食の川上未映子ワールド・・・なのだと思い知る。20時間のAudibleを1週間で駆け抜けた・・・

春のこわいもの

深川で読む、ちょっと不穏な短編集

下町、思い出逍遥。年に一度はお江戸深川を歩く。今年は3月15-16日、江東区芭蕉記念館、そして懐かしい深川図書館、住んでいた頃はずいぶんお世話になりました。久しぶりの深川図書館、2時間の滞在で読んだのは川上未映子の短編集「春のこわいもの」。6編からなる短編集のうち4編まで読んだところでタイム・アップ。続きはAudibleで(Audibleは岸井ゆきのさんの朗読!)

コロナの時期に書かれた文章が多い。<Audibleで聴いています>

読書企画:マジック・リアリズム(アメリカ編)

2024年度の読書企画のテーマは「マジック・リアリズム」アメリカ編。できれば2025年度にアメリカ以外編を。

4月からの新年度のシリーズ読書、2022の「平家物語」、2023「源氏物語」ときて、日本の古典は食傷気味なので、ぐーんと離れてラテンアメリカ文学を中心としたマジック・リアリズム小説を読んでみたい。ちょうと「本の雑誌」4月号の特集「マジック・リアリズムに酔い痴れろ!」とも連動。頭がグチャグチャになるくらいに!リストは↓

  1. 百年の孤独(読了済み)近々文庫が出るらしいので再読するか?
  2. 族長の秋 4月
  3. グアテマラ伝説集 5月
  4. 別荘 6月
  5. 夜のみだらな鳥 7月
  6. ペドロ・パラモ 8月
  7. 夜明け前のセレスティーノ 9月
  8. 失われた足跡 10月
  9. 赤い魚の夫婦 11月
  10. 寝煙草の危険 12月
  11. 熱帯雨林の彼方へ 1月
  12. コーラス・オブ・マッシュルーム 2月

ブックガイド(122)ー日本ではタブー化がすすむ安楽死ー

https://uuw.tokyo/book-guide/

気楽に読める一般向けの本で、アンダーライティングに役立つ最新知識をゲットしよう。そんなコンセプトのブックガイドです。第122回目のテーマは「安楽死」。生命保険にとってもむずかしい問題です。日本では関わった医師に有罪判決が下されることが多く、医療界においてもタブーとなっています。ところが、スイス・オランダ・カナダなど安楽死が合法な国は増えています。そんな国の現状を知っておくための一冊です。

最初に安楽死が合法の国で起こっている主な事象をまとめると以下の5点です。これらは、この先安楽死が合法化される国で次に起きることは何かを教えてくれます。

  1. 安楽死者の増加: 合法化された国々では、安楽死を選択する人の数が増加しています。
  2. 対象者の拡大: 安楽死の対象となる人々の範囲が広がり、末期病患者だけでなく、経済的困窮や障害を理由に安楽死を選ぶケースも見られます。
  3. 手続き要件の緩和: 安楽死の手続き要件が合法化後に緩和される傾向があります。
  4. 医療現場の日常化: 安楽死が医療現場で「日常化」され、一部の医師による「偽装」安楽死も問題視されています。
  5. 生命維持の中止: 「無益」と判断された場合に、生命維持措置が一方的に中止されることもあります。

安楽死が合法化された当初は「疾患末期の苦痛からの救済」という意味合いが強く、安楽死には「重大な病気があり、治療が不可能で、不可逆的に状態が劣化しており、耐えられない苦しみがある」など特定の条件を満たす必要がありました。そうした条件を満たして初めて、患者の自発的意思に基づき、医師が致死性の薬物を注射するか、医師が処方した致死薬を患者が自身の意思で服用することによって死に至らせる行為が安楽死だったわけです。

ところが、安楽死が合法化された国々では安楽死の対象者が拡大しており手続き要件が緩和される傾向にあるため「偽装安楽死」が発生しやすい環境が形成されています。また、安楽死と緩和ケアが混同されることにより、安楽死が緩和ケアの一部として誤解され、医療現場での安楽死が日常化してしまうリスクも指摘されています。

本書では、冒頭に相模原の障がい者施設での大量殺害事件が取り上げられており、いきなりセンセーショナルなゾーンへ議論が運ばれます。そのため「そうだよね、日本で安楽死なんて認めたらあぶないよね」という話に誘導されてしまいます。そこにヨーロッパ、北米での安楽死の適応範囲の拡大が取り上げられ、あんなこともあった、こんなことも起こったと、まるで坂を滑り落ちるようにナチスの優性思想的な弱者の排除が拡大しているというトーンで事例が取り上げられています。

一方で本書では、超高齢者医療も同じ次元で語られるところは気になります。橋田壽賀子さんの「安楽死で死にたい」が否定的に取りあげられており、結論として「すべての生は礼賛されるべき」というナイーブな話になってしまいます。

私は「障がい者や難病患者の安楽死」問題と、超高齢者問題は切り離して考えるべきだと思います。「障がい者や難病患者のケア」は社会の少数弱者を社会の制度として支えようという福祉の話ですが、高齢者医療はそのボリュームの大きさから医療経済としてとらえる必要があるでしょう。「命の話に経済を持ち込むことは悪」みたいに書かれていますが、経済的に持続可能であることも重要だと思うのです。(査定職人 ホンタナ Dr. Fontana 2024年3月)