El librero la Fontana

El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚「人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ 」(アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

死体格差 異状死17万人の衝撃

最近動向を踏まえた日本の死因究明制度分析

「日本の死因究明制度がいかにダメか」という本はこれまで何冊も書かれているがその多くは、その当事者の一人である法医学医師(多くは大学の法医学教室の教授・元教授)が退官前後に書いたものが多く、まあ書いている本人も当事者の一人であるからか歯切れの悪いものが多い。

その点、本書の著者は調査報道に携わる国際ジャーナリストということで、これまでの死因究明嘆き本とは一味も二味も違う。

第1章ー日本の死因究明に関する基本的な事実。

異状死体(まあ病院外で発見された死体と考えてよい)が発見され、警察に通報されると、警察官の中で検視官という資格をもつものが検視(目視による)を行い、事件性があると判断すれば死体は司法解剖に回される。事件性がないと判断されたら、地域の開業医で警察と協力関係にあり警察医という役割をになうものが死体の表面観察で「心不全」など死因を死体検案書に記入することで、葬儀・火葬となる。検視官は警察官なので医学的な死因究明の知識はほとんどなく、この検視官ー警察医ルートに流れたら死因の究明はきちんと行われたとは言えない。

以下の章では、実在の法医学者のインタビュー記事をもとに書かれる

一方で、事件性があると判断された場合の司法解剖のハードルは地域によって異なり監察医制度が機能している東京23区・大阪市・神戸市以外では大学の法医学教室に依頼することになり、そのハードルの高さによって多くの地域では検視官ー警察医ルートで安易に処理されている(可能性が高い)。神奈川県はまた別の問題がある(後述)。

そのため、異状死体の解剖率は東京で17.2%、最低の広島で1.2%という地域差があり、この差がそのまま「犯罪の見逃し」につながっている・・・

第2章ー大野曜吉・元日医大法医学教授

警察官である検視官が事件性の有無のキャスティング・ボードを握っているため、警察が描いた事件のストーリーに沿った判断をしてしまいやすい。それが「犯罪の見逃し」と「冤罪」につながる。検察が自分たちに都合のいい鑑定結果を持ち出してくるのは日常茶飯事。

第3章ー岩瀬博太郎・千葉大法医学教授

「日本の法医学は科学的というより、警察の意に沿わされてしまうほど未熟・・・」特に、問題になるのが犯罪の見逃し。警察庁が2011年に公表した「犯罪死の見逃し防止に資する死因究明制度の在り方について」によれば1998年から2011年までに発覚した死亡ケースで犯罪を見逃した件数は43件。これはのちに、別件などから発覚したものなので実際にはかなり多い。時津風部屋事件、後妻業事件など。そもそも法医学者のところに死体がこない制度の問題。

そこを改善するために2013年に「死因・身元調査法」により制度として遺族の承諾を必要としない新しい解剖制度「調査法解剖」ができた。ところが、制度だけで法医学的受け皿は何も手当がない。

極めつけは、当時の警察庁刑事局長(金高雅仁)が問題のある神奈川県の解剖医を視察し、10万円程度で短時間に大量の解剖を請け負っているそのやり方を基準に調査法解剖をやるように指示するという、とんでもない判断。

第4章ー奥田貴久・日本大学法医学教授

アメリカで著名な日本出身の法医学医トーマス・野口のもとに渡り、アメリカ流の検死官制度を学んだ奥田の話はおもしろい。警察からまったく独立した検視局(これはボッシュシリーズなどでもおなじみ)、そこで働く医師の給与も高い。

日本ではドイツ流の警察主導の死因究明の上に戦後アメリカが監察医制度を持ち込み、監察医制度が機能しているところ(東京23区・大阪市・神戸市)とそれ以外が大きく乖離。

第5章ー清水恵子・旭川医科大学法医学教授

テレビの法医学者は女性が多い。犯罪に対する憎悪から冤罪が生まれ、冤罪を法医学的に証明すると言われない非難があるという事実。「デートレイプドラッグ」の啓蒙。前出の見逃し43件のうち11件は睡眠導入剤を使っている。

第6章-世界一の解剖数をこなす横浜の監察医「横浜監察医務研究所」の医師

神奈川問題=だれが法医解剖の費用を払うのか。いつの間にか遺族に払わせる神奈川。そこをついて、やたらに雑な解剖を大量に実施する医師。それを推奨するような発言をした警察庁刑事局長。うーん。闇はさらに深まっていた。

第7章-早川秀幸・筑波メディカルセンター病院剖検センター長

死後画像=Ai(Autopsy imaging)を実施。裁判員裁判ではマクロ画像ではダメ、そこでAi画像。

第8章-孤独死の問題

以上、8章で日本の死因究明制度の問題点の大部分を網羅するとともに、実際にその現場で働く法医学者の意見も知ることができる。やはり警察主導ではだめだということ。法医学者の社会的責任・立場の強化が必要だと感じる。

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超耐性菌 現代医療が生んだ「死の変異」

タイトルとは違って、感染症医の奮闘と努力のドキュメンタリー

著者のマット・マッカーシーはプロ野球マイナーリーグの経験もある医師。感染症医としての著者マットが抗菌薬ダルバマイシンの治験をプロモートしながら、さまざまな人物・患者を通して成長していく過程のドキュメンタリーがメインストーリー。そして常に、マットの近くにいるのが指導医ともいえる感染症医トム・ウォルシュ(がんの化学療法などの結果起こる重篤感染症の治療の世界的なエキスパート)。

マットがダルバマイシンの治験を企画しそのプロトコールが承認される過程においても、さまざまな困難がある。そんな話の合間に、ペニシリンから始まる抗菌薬の歴史を作ってきた人々の物語が挟まれ、あるいは、人種偏見に基づいた人体実験めいた治験が存在したという話がたくみに挿入されている。それらの結果として現在、マットの時代の治験計画は厳しい審査にさらされる。

やっとのことで治験ができることになりその患者を探す過程は、さまざまなバックグラウンドをもつ患者たちの人生、たとえば9・11で化学物質を吸い込んだためにがんになった男性、ちょっとした怪我からオキシコンチン中毒になった男性、白血病の治療で免疫不全になったための感染した女の子、などなど、感染症にも様々な背景の物語がある。

治験の結果、感染症を克服する人もいる一方で、指導医のトムの元には、骨髄移植や最新の免疫療法によるがん治療が引き起こした、聞いたこともない細菌や真菌の感染のコンサルテーションが来る。トムは、そんな「がん治療後重篤感染症」のエキスパートで、世界中からのコンサルティングに答えたり、即座にそんな患者の元に出かけたり。

トム=Tommy Walshについては本文中にも紹介されているが、実際に子供をトムに助けられた父親が立ち上げたトムの業績を賞賛するサイトを見ると、彼の活躍が多くの子供たちを助けていることがわかる。https://missionfromtheheart.org/annas-story/

ペニシリン以来の抗菌薬の黄金時代にはすっかり克服されたと思われてきた感染症だが、黄金時代に大量に投与されてきた抗菌薬により耐性菌が生み出されているのがまさに現代だ。そのため、感染症が今なお猛威を振るっているような途上国や、人口密集地域・国、では感染症のコントロールが難しくなっている。さらに、抗菌薬の開発が、例えば新しい抗がん剤としての抗体医薬などに比べて、利益が上げられない分野であることから製薬会社も開発に手を出しにくくなっている。また、がん治療の手法の発達はトムが手掛けているような「がん治療後重篤感染症」を急増させている。

感染症医はまさにそうした時代に立ち向かっている。その実態を治験や治療の現場レポートとして伝えてくれるのでまさにアメリカ感染症治療の最前線にいるかのような緊迫感をもって読むことができる。

聞いたこともないような病原体や抗菌薬がいくつも出てくるがみな実在しており、例えばカンジダ・アウリスは2008年に日本人女性の耳から発見され、現在インドで感染が広がっているらしい。いま、目の前のCOVID-19の後にはこの耐性菌問題もまた避けては通れない。ちょうど、高齢期を迎える自分もひょっとしたら感染症で死ぬことがあるかもしれない。

鎌倉殿と執権北条氏

2022大河ドラマ「鎌倉殿の13人」

2021年の大河ドラマは見なかったが、2022年の大河ドラマは「鎌倉殿の13人」。源平合戦ー鎌倉幕府ー北条氏の覇権ー承久の乱、この間の流れは人物が錯綜していてわかりにくい。それを三谷幸喜が大河ドラマにするというのだから、かなり面白そうだ。ただし、登場人物が多く人間関係も複雑なので、深く楽しむためにはかなり予習が必要。というわけでドラマの時代考証を担当する坂井孝一氏の著書を読んでみることに。

まずはドラマの主役である北条義時(小栗旬)の視点を重視して書かれたのが本書。本書中に著者の大胆仮説として提示されている源頼朝の最初の妻・八重(新垣結衣)がのちに北条義時の妻になる(いわゆる〇兄弟)あたりは興味深い。ただし、この本だけではまさに北条義時の視点からしかわからないことが多すぎて・・・

残りの2冊は、後鳥羽上皇の視点から描いた「承久の乱」。

源氏将軍たちの視点から描いた「源氏将軍断絶」。

結局、3冊読まされることになる・・・同じ時代を立場の違う三者の目線で描くという著者の戦略にまんまと乗せられることに。

世界で一番売れている薬

創薬もスリリングだ!

日本が世界に誇る創薬はいくつかあるが、まさに「世界で一番売れている薬」であるコレステロールを下げる薬、スタチン(メバロチンやビタバスタチンの一般名)も日本人、遠藤章が50年も前に創り出したもの。遠藤先生のライフヒストリー、そしてスタチンが世に出る(メバロチンの発売は1989年)までの紆余曲折は、まさにサスペンス小説のようにスリリング。

それを活写する山内喜美子さんの「世界で一番売れている薬」、オリジナルは2007年の刊行で2018年に新書になった。今読んでも、研究者や臨床医などすべての登場人物のリアリティにぐいぐい引き込まれ一気に読んだ。

四つのストーリーが交錯する。一つ目は、秋田の田舎から苦学して東北大農学部にすすみ三共に入社して研究人生を歩む遠藤先生の物語。留学先のアメリカで研究ターゲットをコレステロールにさだめたものの帰国した日本ではまだまだそういう時代ではなかった。それでも、ひとと違ったものをやりたいと研究を続け、コレステロール合成に必要なHMG-CoA阻害作用をもつ物質を青カビから抽出しML-236として特許を取得(1973)。

二つ目は、三共(に限らないが)の研究体制の問題。年功序列や部門間の軋轢など日本的な組織が新薬開発にブレーキをかけます。まあ、このあたりは、日本人ならわかる、仲間内の足の引っ張り合い。

三つ目は、海外のライバル製薬会社や研究者、そして彼らの特許戦略の巧みさ。そのため、開発者である遠藤先生を擁し、ML-236の特許にを持つにも関わらず、治療薬の特許を独占することができなかった三共。特許における先願主義国と先発明主義国の違いなど、初めて知ったことも多い。

四つ目は、薬害問題などで新薬開発にビビり、臨床治験もままならない日本で、目の前で苦しむ家族性高コレステロール血症の患者のために、リスクをおかしてスタチンを使い続け成果を出すことで社会の流れを変えた臨床医(金沢大学の馬淵先生や大阪大学の山本章先生)達の物語。結局、彼らがNEJMなどに発表した臨床論文が世界を動かした。

四つの物語が錯綜しながら、製剤としてのメバロチンが発売されたのは1989年、ML-236の特許から16年もかかってしまい、すでに遠藤先生は東京農工大に移籍。メバロチンで三共は莫大な利益をあげたが、逃した利益も大きかったはず。まあ、スタチンは日本初のブロックバスターだったわけで、製薬会社自身もそんな創薬が日本でできるとも思っていなかったのはしかたない。

月日は流れ、国内ではすでにメバロチンの特許は切れジェネリック薬も増え、スタチン製剤が世界中で使われていることはご存じのとおりです。だからこそ、ここに至るまでの遠藤先生をはじめとする多くの努力が紡ぎだした物語をぜひ読んでもらいたい。発想から実験、推理、挫折、陰謀・・・すべての要素を丹念に書き込んだ著者もみごと。

女帝 小池百合子

逆に小池百合子の上昇志向をほめたい

著者はまあ、小池百合子をまさに無茶苦茶にこきおろしているわけだが、逆に、言ってみれば裸一貫から、さまざまな武器を駆使して、国会議員になり大臣になり都知事になった。機を見るに敏、男だったら立志伝中の人物ではないか?

男性政治家だってやっていることは大して変わらないことは著者もよーくわかっているはずだ。むしろ、安倍、石原親子、舛添、前原らをきりきり舞いさせたことが、ある種、痛快にも思える。

やがては墜ちるイカロスみたいな表現で話を締めているが、落ちないままいくのではないか彼女は。来年70歳でもあり、落ちないままの引き際も心得ているだろう。

ポピュリズムを自在に操り、そんな自分への疑問を抱かず、屈託もない、引くところは引いて自分自身は大けがをしない。大したもんだ。

まあ、彼女ののし上がっていった跡が、これまでと同じように焼け野原になる可能性はあるが、まあ東京都ならそれぐらいのダメージは受け止められるでしょう。

平成年間の政治史を物語風に読むという意味では意義ある一冊。小池百合子に関しては著者の過剰な敵意が逆効果。

うんちの行方

「うんち」三部作、その2

この本のあとがきにもあるのだが、子供の本では漢字ドリルまで「うんち」化しているのに、大人の本でありそうでなかった「うんち」本が、このところ三冊続けて出版された。その中で、まさに私たちのうんち生活にリアルに寄り添うのが本書。

処理場などさまざまな現場のルポ、鉄道や富士山頂など非日常での処理、トイレの進化や飲料水化プロジェクト、もちろん江戸―明治の循環システムまで。これ一冊でまさにスッキリわかります。

もう一つ、「うんち」学とはまったく無関係の二人の雑談がきっかけで、いわば二人の独学で一冊本ができたという、その点もすばらしい。

ちなみに三部作 残りの2冊は ↓

続・私の本棚 (8)医師も深く関与する「少子化」

還暦過ぎの元外科医ホンタナが、医学知識のアップデートに役立つ一般向け書籍をセレクトし、テーマごとに同世代の医師に紹介するブックレビューのセカンドシーズン「続私の本棚・還暦すぎたら一般書で最新医学」です。第8回は「人口」、特に「少子化」にフォーカスを当ててみます。

医学とは直接の関係はないように見えますが、不妊治療や人工妊娠中絶といった医療を考えると、医師もけっして無縁ではありません。日本の、そして世界の少子化について読み解いてみましょう。(ちなみにファースト・シーズン「私の本棚・還暦すぎたら一般書で最新医学を」はこちら

ベビーブームから少子化まで ――医師も深く関わっていた

戦後のベビーブームで誕生した団塊世代が後期高齢者になりつつあります。ベビーブームから50年で少子化へと急反転したことになります。最初に紹介する本は「日本の少子化 百年の迷走」です。

著者の河合雅司氏といえばここ数年「未来の年表」シリーズがヒットしていますね。こちらのシリーズが日本の人口の将来予測をもとにした悲観的な未来論であるのに対して、今回紹介する本は「終戦からベビーブームの時代に、将来の人口爆発を予測して何が行われたか」という、つまり人口の過去を検証しています。

過去の出来事だけに、リアリティもあれば数々の証拠も掲げられています。私はこの本で長年の「団塊の世代を作った、あのベビーブームが急に終わったのはなぜ?」という疑問が氷解しました。

 ベビーブームの急停止にはいくつかの要素があります。当時は人口急増への対応として、避妊の国家的誘導など今とはまったく逆のドライブがかかっていました。戦争中・終戦直後の「産めよ、増やせよ」から「産むな、つくるな」への大転換です。

さらにそこに大きな影響を与えたのが「優生保護法改正による人工妊娠中絶の実質自由化」です。そこにはメシの種を探していた医師もけっこうからんでいます。当時は戦争末期に濫造した軍医が大挙して復員してきて、空前の医師過剰の時代だったんですね。

ベビーブームは産婦人科医ブームでもあったわけですが、産婦人科医はベビーブームの終息にも大きく関わっていたのです。ちなみに、現在でも年間の人工妊娠中絶数は15万件前後で、これは年間人口減少数の半分にあたります。

高度成長期の日本にとっては人口爆発こそが大問題であり、政治的、医学的にさまざまに介入した結果が今日の少子化をもたらしたとは、まさに歴史の皮肉です。

「少子化」を文化人が語る、方向性バラバラの議論がおもしろい

評論家の内田樹(うちだ たつる)氏のキレ味のいい文章が好きで、彼の書いた本を長年読んできました。

人口減少社会の未来について、いろいろな視点からの知見をまとめた本を編みたいという内田氏の呼びかけに、10人の論客がさまざまな視点・立場から人口減少を論じたのが、最近文庫化もされた、2冊目の「人口減少社会の未来学」です。

内田先生をあわせた11人の言っていることはバラバラという印象ですが、それこそがこの人口減少という問題が一定の結論のない、未体験の出来事だということの証左なのでしょう。十人十色の文章を通して、新しい知見を得ることもでき、少子化の論点がなんなのかもぼんやりとではありますが、見えてきます。

例えば、
 ● 少子化の原因は、既婚女性の出生数の減少ではなく、第一に晩婚化・未婚化であり、これは自由と発展の代償であること(平川克美)。

 ● 高齢化については、実際の負担は高齢者の比率ではなく高齢者の実数の問題であること、つまり、実は高齢化率が高くて人口が少ない地方よりも、多数の団塊世代を抱えている都市においてこそ今後の高齢者の介護負担が問題になること(藻谷浩介)。

 ● AIが単純労働を代替することにより頭脳資本主義の時代がくるが、日本では相変わらず無価値労働(労務管理や資料作り)に振り回されている労働者が多いこと(井上智洋)。

 ● 縮小社会肯定論を目にすることが増えてきたが、イギリスの実例から、縮小社会はやはりキツいこと。また、国家財政においては家計とちがい節約・借金返済は負の効果が大きいこと(ブレイディみかこ)。

 ● 1970年代の人口予測がものの見事に外れた結果が、約半世紀を経た現在の人口構成であることを考えれば、いまから半世紀後の2070年の人口予測がどうなるかわからない(小田嶋隆)。

…などなど、根底の人口減少傾向の持続に疑問を呈するレベルの話から、リフレ擁護論、AI、都市と地方…と、論点はさまざま。それぞれの文章は面白いのですが、それだけ議論の方向もバラバラだということがよくわかります。

人口減少について、識者の間での合意レベルがその程度なのだということが見えてきて、劇的な対策もなく減少していくのだろうなあと納得です。人口問題については、日本は今そういう暗中模索の中にあることを知る、そういう意味では貴重な一冊になっています。

明治維新時の人口が3,500万人、終戦時の人口が7,200万人だったことを考えると、人口急増の高度成長期こそが例外の時代だったということです。その例外の時代が持続するものと見誤って、社会に劇薬的な処置をしてしまったところに日本の少子化の遠因があるのです。

世界に拡大する少子高齢化
――インドやアフリカで起きていることは

ここまで日本の人口減少についての本を取り上げてきました。最後に取り上げる「2050年世界人口大減少」は、世界の人口がこれからどうなるのかを統計数値だけではなく、いわば人口大変動の現場に足をはこんでのフィールドワークで捉えた人口論、なかなか面白い本です。

人口を論じる本では、多くがいわゆる統計的な数字を使って話を進め人口の将来予測をしています。ここ何年間かの人口の増加率や減少率や出生率をもとにそのトレンドが続けば何年後にはこうなりますよという、いわば線形の予測です。

そのため、その予測には統計的な数値ではとらえきれない新しい現象は織り込まれていません。ところが、イノベーションが加速し世界の変化が矢継ぎ早におこるようになると、そうした統計的予測があっという間に陳腐なものとなりかねないのです。

たとえば1980年の予測には共産圏の崩壊が、1990年の予測にはネット社会の到来が、2000年の予測にはスマホの登場が、いずれも織り込まれていません。ところが現実にはそうした出来事が起こり、あっという間に世界を変えてしまいました。

 当然その結果として社会のありようも変わります。インドでもアフリカでも女性がスマホを持ち情報を交換する時代が突然やってきたのです。

それらの変化は人々の行動変容を引き起こし、結婚・妊娠・出産といった人口に関わる行動も大きく変化します。具体的には、都市化(人口の都市集中)と女性の教育水準の上昇は多くの国で出生率の減少を引き起こしています。ネットやスマホなど情報を得る手段が増えたことも、そうした現象を増幅します。

これまでの推計では人口爆発が懸念されてきたインドやアフリカですが、急激な出生率の低下はそんな推計をくつがえしつつあるのです。

著者らは統計数字ではわからない変化をインドやアフリカを含めた世界中でのインタビューなどフィールドワークで明らかにしていきます。グローバル化そして情報化した社会では、統計数字の予測を超えた加速度的な変化が起こるということですね。その結果として予測よりもずっと早く2050年頃には90億人をピークとして世界人口は減少に転じるのです。

本書のもう一つの論点は「移民」です。アメリカ、カナダのように移民を上手に国力の維持に使えている国の底堅さの一方で、日本のように歴史的・文化的に移民の受け入れがうまくやれない国の衰退は避けられないのかもしれません。

一時期、中国や東南アジアからの労働力移入が積極的になりそうな時期がありましたが、コロナ禍でどうなることか。そもそも、中国や東南アジアもすでに人口を維持できない出生率水準になりつつあるので、移民どころではなくなるのですが…。

この本で気づかされたのは「変化が加速度化する世界で旧態依然とした統計手法では真実を見誤ってしまう」ということです。変化が加速化し予測が難しい社会、コロナ禍で日々感じることでもあります。コロナでそれどころではないですが、日本の人口減少の出口もまた見えない…。

今の日本は人口オーナス期
――人口ボーナスを享受した世代の医師として思うこと

19世紀後半の産業革命の完成や近代医学の発展により文明化した国・社会では「多産多死社会から少産少子社会」へという「人口転換」がおこりました。乳幼児の栄養状態の改善がもっとも大きな要因です。人口転換以前は、子どもを10人産んで2、3人しか成人しないというのが普通だったのです。

ヨーロッパでは第一次大戦後1920年ごろまでには人口転換が完成したと考えられています。アジアをみると日本では団塊の世代の前後、つまり1950年頃に人口転換が起こり、韓国では朝鮮戦争後、中国では文化大革命後、とそれぞれ国の事情により少しずつずれて人口転換が起こっています。

人口転換の結果、少死により急に子どもが増え始め、さらにそこから10年ほどで急激に少産社会となっていきます。この多産多死→多産少死→少産少死という変化のなかで「多産少死」で生まれてきた世代がベビーブーマーということになります。

ブーマー世代そのものの出産行動は少産少死ですから、ブーマー世代が労働世代になって高齢化するまで(15 歳から60歳)の30-40年間は労働人口が非常に多く、子どもや高齢者などいわゆる従属人口が少ないという、特殊な人口構成の時代が出現します。

特に労働人口を従属人口で割った値が2以上(つまり2人の労働者で1人の子ども・高齢者を養育すればよい状況)の時期を人口ボーナスと呼び、この時期には社会に経済的余裕が生まれるため高度成長期となります。ということは奇跡ともいわれる戦後日本の経済成長は、その多くが人口ボーナスのおかげであったことがわかります。しかしボーナスのあとにはオーナス(負担増の時代)が待っています。ボーナスを支えたブーマーを誰が支えるのでしょうか。今の日本の少子高齢化問題はまさにこの「人口オーナス」を言い換えただけのことなのです。

日本の100年前からゆっくりと人口ボーナスからオーナスへと転換していったヨーロッパでは、イギリス・フランス・ドイツなどのように移民により外部から労働力を補充するやり方や、北欧各国のように女性の職業的自立と出産を社会制度として両立させるというやり方で時間をかけてオーナスを克服してきました。

今が人口ボーナスのピークにある中国も20~30年後には深刻な人口オーナスにあえぐようになると言われています。ヨーロッパにくらべてアジアは急激にボーナスへ突入したため、社会制度がオーナスに耐えられないという予測もあります。

これから成人してくる世代は、これまでの人生の全てを人口オーナス期で過ごしてきた若者です。彼らのために、われわれ人口ボーナスを享受した世代はヨーロッパが成し遂げたような社会改革に向けた努力を続けながら、自分たち自身は次世代に負担をかけない形でのリタイアメント、そして死を迎えるというのが現実的な答えかもしれません。

あるいはなにか、予想もつかない感染症や天変地異によるカタストロフィーが人口動態の基盤を根底からひっくり返す…新型コロナ感染症や地球温暖化を見ると、こちらの可能性のほうが大きいような気もします。医療者もこれからの人口動態学的な潮目を読む必要があるでしょう。

次回予告

最後は少し暗い結論になってしまいました。出口の見えない少子高齢化問題はこれくらいにして、次回は生産的なテーマ、「創薬」について読み解いてみたいと思います。

取り上げるのは「世界で一番売れている薬」「世界を救った日本の薬」「分子レベルで見た薬の働き」の3冊の予定です。次回もご期待ください。