El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

すべては量子でできている

半分で挫折しそうだが・・・それもまた人生経験ということで

「空間」「時間」と何とか理解しながら読み進めていったが・・・話の本質である「素粒子」まで進むと・・・素粒子の根本性質は3つ「質量」「チャージ(荷量)」「スピン」である、あたりから理解はあやしくなってきて5つの素粒子「電子」「光子」「アップクォーク」「ダウンクォーク」「グルーオン」であって、それらを駆使した「量子電磁力学(QED)」と「量子色力学(QCD)」となっていく。この「量子色力学」というのが著者ウィルチェックがノーベル賞を受賞した分野ということになる。

しかし、しかし・・・4つの素粒子、スピン?あたりから頭が受け付けない。そもそも物理学関係は高校レベル(それも30年前の・・・)の知識からの読書なので、どうしようもない感じ。結局、素粒子論がわかっていないのできついなあ。

<まだまだくいさがり読書中>

生命科学であればなんとかついていけているのだが。物理本はかなりやさしく書かれていないともはや無理だと認識した。うーん、悲しい。

サピエンス減少 ー縮減する未来の課題を探る

子どもは1人で十分な社会を作ったのもまたわれわれ

人口維持のための合計特殊出生率が2.07、つまり一人の女性が生涯に産む子供の数が2.07人であれば人口は維持されるわけだが・・・・日本は1.3前後が続いているので当然人口は減る。政府は人口減を緩和するために不妊治療を健康保険の対象にしたり、子育て世代への支援をすすめてはいるのだが

この本は、人口が爆発から爆縮にいたる人口転換のメカニズムなどがきちんと書かれておりそれなりに役にたつ。しかし、この人口減少の問題が何ともかみ合わない感じ、つまり、国や政府が尻をたたいても2人3人と子供をもつ夫婦が増えるのだろうか、という根源的な疑問がある。

というのは、ここから先はまったくの私見なのだが、現代日本では子供は1人で十分なんだよね。今の日本では、核家族化が進んで、例えば自分のことで考えても、自分たち夫婦のことは自分たちで完結したいと考えている。親の世話にもならないし、子どもの世話にもならない。逆に言えば、親も子どもに世話になることを期待せず、子どもも親離れしたあとは自立することを期待されている。

子どもが将来親の面倒を見るような時代や、子どもの死亡率が高かった時代は2人以上の子供を作る必要があっただろうけど、こんな自分たちの世代だけで完結することを目指す社会では、老後のさまざまな手続きや死亡後の手続きなどでどうしても子供の支えが必要な状況があるとしても、それは1人の子供で十分なんだよね。親世代も長寿で父親の死を母親が看取って後始末をし、母の死を子供が看取って後始末をする、それには子供1人で十分。

だから、合計特殊出生率は1人と2人の間くらいに落ち着くのはある意味当たり前。2.07人が必要というのはお国のためだったりするかもしれないけど、現実問題として2人を産む必然性なんて全然ないわけ。民主的で核家族をモデルとした欧米型の産業構造+社会構造に舵をきった世界において、人口が減少するのは理屈にあっている。

現在の推計では日本の人口は約100年後、2120年に5千万人を切るらしい。明治維新の頃の人口が3千万だったことを考えるとそこまでインパクトのある変化でもないんじゃないか?それに、そんな先のことどうでもいいと思っていると思う。みな自分の生を謳歌するので精一杯なんだから。100年後もきっと、何かしらうまくやっていってるよね、5千万人の人口で・・と思いたい。

窯変源氏物語(11)

いよいよ源氏後の源氏物語へ

㊷雲隠・㊸匂宮・㊹紅梅・㊺竹河・㊻橋姫

源氏物語においては、源氏の死をあらわすタイトルだけで中身のない帖が「雲隠」だが・・・

㊷雲隠(くもがくれ)・・窯変源氏物語では「雲隠」の帖には60ページの中身があり、その部分は作者・紫式部の独白となっている。読んではいないが「紫式部日記」をコンサイスにまとめたものだろうか。源氏物語の光源氏のモデルが藤原伊周であること、紫式部と藤原道長の関係、光源氏亡き後の世界を書こうと決意していく様子など、紫式部の執筆の過程が垣間見える。橋本治の筆が冴える。

㊸匂宮(におうのみや)・・女三宮の産んだ不義の子が「薫中将」、入内した明石の宮が産んだ三の宮が「兵部卿 匂宮」として成長20歳前後となる。物語の最初で言うところの光源氏の孫が「匂宮」であり、頭中将の孫が「薫」(世間的には源氏の子とされている)となる。

㊹紅梅(こうばい)・・「紅梅」とは柏木の弟・按察使大納言のこと。髭黒の大将の娘・真木柱はこの按察使大納言の後妻となっている。按察使大納言の前妻の子や真木柱の連れ子の姫君たちを兵部卿匂宮に嫁がせようと画策したり、匂宮の多情ぶりに警戒したりする。この頃の人々のありようを描いた本筋とはあまり関係のない帖。

㊺竹河(たけかわ)・・前帖が「真木柱」のその後、この帖は「玉鬘」のその後。夫・髭黒大将(真木柱の父でもある)は出世したものの早逝。残された玉鬘は経済的には余裕があるものの娘たちをどう嫁がせるかで悩む。上皇か今上か、それとも・・・。そんな中で薫の存在がクローズアップされる。それぞれの女たちはそれぞれに思惑を抱えるが、自分以外の心を知ることもなく・・・そうしたメタのない思考の限界ということか。

人とは、それぞれの物思いを内に抱え、ただそればかり心を彷徨わせて、己れならざる人の物思いには気づかぬものであるのやもしれません。

㊻橋姫(はしひめ)・・いよいよラストの10帖、いわゆる「宇治十帖」へ。薫20~24歳頃。桐壺帝の息子八の宮は処世術もなく宇治で隠棲している。隠遁生活の心得が知りたいと薫が通うようになるのだが、ある日偶然に八の宮の二人の娘の演奏を聴き、美しさに触れる。さらにこの八の宮家の老女房が柏木(=実は薫の実の父)の最期の様子をよく知るもので、それを薫に語り聞かせる。こうして宇治を舞台に新しい物語がスタートする。

全14巻中、残り3巻となった・・・今年もあと一か月、3巻全部はかなり苦しいが・・

ハリー・ボッシュ シリーズ覚書

Amazon Prime Videoでボッシュ・シリーズ最新シーズンを見終わって「あれ、原作シリーズはどうなっていたかな」と思い出しての調査メモ。

ボッシュ・シリーズでは「鬼火」まで読んで追いついた気になっていたが、その後も作者のマイクル・コナリーは着々と新作を発表しているのであった。この年末・年始に読み込む予定でメモを書いておく。

前回の最終読書が「鬼火」で、その後のコナリーの作品は、ジャック・マカヴォイシリーズの「警告」だがこれにはボッシュはでてこなさそう。(2021年12月)

次がリンカーン弁護士シリーズの「潔白の法則」でこれにはボッシュは端役で少しだけ登場。(2022年7月)

そしてメインストーリーであるボッシュとレネイ・バラードの「ダーク・アワーズ」(2022年12月)。

最新刊がレネイ・バラード、ボッシュシリーズで「正義の弧」(2023年7月)。

・・・というわけでまずはボッシュシリーズをということで「ダーク・アワーズ」「正義の弧」と読む予定。しかし作者のマイクル・コナリーの執筆活動が精力的なことに驚く!

 

2023年 秋-冬 Amazon Prime ドラマシリーズ

① ボッシュの新シリーズ「BOSCH Legacy:ボッシュ 受け継がれるもののセカンド・シーズン全10話が完結したばかり。

これで合計9シーズン目、ずいぶん長い間楽しませてもらってる。原作とはかなり違ってきたがこれはこれでまた。

② FARGOが帰ってきた!

FARGOのシーズン5の配信が始まった!まだ2話までだが、すでにかなり面白い。冬の楽しみになりそう!

書斎の机上のモニターを4K31.5inchのものにし、書斎だけで5.1chサラウンド環境を構築したのでそれなりに見ごたえ、聴きごたえある。・・・リビングのサラウンド化は禁止されているのでしかたない・・・。

Amazon Prime Videoはほとんが5.1chなので楽しめる。また2chの作品や音楽も最近のAVアンプはまるでマルチチャンネルであるかのようなヴァーチャル・サラウンドの機能に驚く。