ページ・ターナーではある!
ただし、少し大味に。イギリス風=ホームズ風の地味な身の回りの謎の事件からだんだん離れて、本作ではFBIとMI5がからんで、イラクやアフガンでの戦争が遠い原因だという壮大なスケール観ではあるが、「おいおい、そんなとこまで首突っ込むか?」
まあ、健全なる時間つぶしとはいえるだろう。「キュレーターの殺人」で離れかけたが、また戻った。
ChatGPTとの議論のほうが・・・深い?
ポルトガルからイギリスへ――近代世界システムの形成とその逆説
1.出発点――なぜポルトガルは海洋覇権を維持できなかったのか
大航海時代の先頭を走ったポルトガルは、15~16世紀にアフリカ沿岸、インド洋、東南アジアへ進出し、広大な海上交易網を築きました。
しかし、ポルトガルは本国人口が少なく、広大な航路や海外拠点を長期間維持するだけの人的・財政的基盤に乏しい国家でした。また、香辛料貿易などから得られる利益に依存し、国内の農業・製造業・金融制度を十分に発展させられなかったという問題もありました。
さらに1580年から1640年までスペイン王と同君連合の関係に入ったことで、スペインと敵対していたオランダやイギリスからポルトガルの海外拠点まで攻撃対象とされます。
その後、株式会社制度、金融、海軍力などを利用したオランダ、さらにイギリスが台頭し、ポルトガルの海洋覇権は次第に後退しました。
2.なぜ人口の少ないイギリスが世界帝国を築けたのか
ここで重要なのは、「人口が多い国が必ず勝つわけではない」という点です。
イギリスは、限られた人口と国力を、
金融
株式会社
海軍
海外植民地
工業力
によって増幅させました。
とりわけ重要だったのが、17~18世紀に発達した国債制度、イングランド銀行、東インド会社などです。
国家がすべての植民地経営を直接行うのではなく、民間資本を動員し、会社に軍事・交易・統治の一部まで担わせました。
さらに島国という地理的条件を生かし、陸軍よりも海軍へ資源を集中し、世界各地の航路・港湾・海峡を押さえる「シーパワー型」の帝国を形成していきました。
したがって、ポルトガルとイギリスとの差は単なる人口差ではありません。
ポルトガルが「交易による利益」を得たのに対し、イギリスは「交易・金融・軍事・産業を連結する仕組み」を形成した。
ここに大きな違いがありました。
3.イギリスの覇権形成と奴隷貿易
しかし、このイギリスの発展を語る際に避けられないのが、大西洋奴隷貿易です。
17~18世紀の大西洋経済では、
イギリス・ヨーロッパ
↓
アフリカ
↓
西インド諸島・アメリカ
↓
ヨーロッパ
という巨大な交易圏が形成されました。
アフリカから強制移送された人々が、砂糖、タバコ、綿花などの商品作物の生産を担い、それらの商品がヨーロッパ市場へ大量に供給されました。
リヴァプール、ブリストルなどの港湾都市、商人、船舶業、保険業、金融業などがこの大西洋経済から大きな利益を得ました。ただし、
「奴隷貿易の利益がそのまま産業革命の資金になったから産業革命が起きた」
と一本の因果関係で説明するのは単純化しすぎです。
より正確には、奴隷貿易・植民地貿易は、港湾、商業、造船、金融、保険、綿工業などを通じて、イギリスの経済発展を支えた重要な要素の一つだった、と理解するのが妥当です。
4.アシエント――なぜスペイン領の奴隷貿易にイギリスが入ったのか
ここで登場するのが「アシエント」です。アシエントとは、スペイン王室が外国商人などに与えた、スペイン領アメリカへ奴隷を供給する契約です。
スペインは広大なアメリカ植民地を持っていましたが、アフリカにおける奴隷調達・輸送ネットワークではポルトガルなどに依存する部分が大きく、外国商人に供給を請け負わせていました。スペイン継承戦争後の1713年、ユトレヒト条約によって、イギリス側の南海会社がこの奴隷供給契約を取得します。
重要なのは、アシエントが単なる奴隷販売権ではなかったことです。スペイン領アメリカへのアクセスを得たイギリス商人は、合法貿易と密貿易の境界を利用しながら、スペイン植民地市場へ入り込んでいきました。
つまりアシエントは、奴隷貿易の利権であると同時に、閉鎖されていたスペイン植民地市場へイギリスが侵入する足掛かりでもありました。
5.南海会社バブル――奴隷貿易・金融・国家債務の奇妙な結合
アシエントを運営した南海会社は1711年に設立されました。
ところが南海会社は、単なる貿易会社ではなく、イギリス政府の国債を自社株と交換するという巨大な金融事業にも乗り出します。「南米貿易によって莫大な利益が得られる」
という期待から株価が急騰し、1720年に典型的な投機バブルが発生しました。しかし実際の南米交易の利益は期待ほど大きくなく、株価は暴落します。
これが「南海泡沫事件(South Sea Bubble)」です。
ここにはすでに、
植民地貿易
+ 奴隷貿易
+ 株式会社
+ 国家債務
+ 証券市場
という、近代資本主義の重要な構成要素がほぼ出そろっています。
6.奴隷船と「効率化」の論理
大西洋奴隷貿易では、奴隷にされた人々は人間ではなく、経済上の「商品」として扱われました。中間航路(Middle Passage)では、船舶の収益を最大化するため多数の人々が狭い船内へ詰め込まれ、感染症、栄養失調、暴力などによって多数が死亡しました。
ここで注目すべきなのは、近代的な合理化・効率化という考え方が、必ずしも人道主義と結びついていたわけではないということです。
利益・輸送効率・死亡率・保険・商品価格などが計算され、人間そのものが経済計算の対象となりました。近代資本主義が生み出した「合理性」の暗い一面を見ることができます。
7.ジェンキンスの耳の戦争――貿易問題が戦争へ転化する
イギリス商人がスペイン領アメリカへ進出すると、当然スペインとの摩擦が生じました。密貿易を取り締まるスペイン側とイギリス商人の対立から、1739年には「ジェンキンスの耳の戦争」が始まります。貿易、海上覇権、植民地市場をめぐる経済競争が、そのまま軍事衝突へ発展した典型例です。
この時代には、商業 → 海軍 → 戦争 → 植民地獲得 → さらに商業という循環が成立していました。
8.それほど利益を得ていたイギリスが、なぜ奴隷貿易を廃止したのか
イギリスは1807年に奴隷貿易を禁止し、1833年には帝国内の奴隷制廃止を決定します。
この転換については、「奴隷制が儲からなくなったので廃止した」
とだけ説明するのも、「人道主義によって廃止した」とだけ説明するのも不十分です。
実際には複数の要因が重なりました。
第一に、クエーカー、トーマス・クラークソン、グランヴィル・シャープ、ウィリアム・ウィルバーフォースらによる奴隷制廃止運動がありました。
第二に、砂糖植民地を中心とする旧来の植民地経済と、産業革命後の新しい商工業経済との利害関係が変化しました。
第三に、ハイチ革命をはじめ奴隷自身の抵抗も、奴隷制維持のコストとリスクを増大させました。
つまり、倫理、宗教、政治、経済、奴隷自身の抵抗という複数の流れが合流して、奴隷貿易廃止へ向かったと考えるべきです。
9.廃止運動を世界戦略へ転換したイギリス
さらに興味深いのはその後です。奴隷貿易を禁止したイギリスは、19世紀に海軍を使って大西洋の奴隷貿易取り締まりを進めました。これは人道的な政策であると同時に、イギリス海軍が世界の海上交通に介入する根拠にもなりました。
したがって、奴隷貿易を行う側から、奴隷貿易を取り締まる側へという国家の立場の転換が起こります。これは特定の一人が設計したというより、
奴隷制廃止運動
議会政治
商工業者の利害
海軍
外交政策
が徐々に結合して形成されたものと見るのが適切です。ここにイギリス国家の特徴があります。中央から一人の指導者が長期戦略を命令したというより、異なる利益集団を議会政治や制度の中で調整し、結果として国家戦略を変更していったのです。
10.「国外の奴隷」と「国内の自由」
もう一つの大きな矛盾があります。イギリスは海外植民地では奴隷制から莫大な利益を得ながら、本国では奴隷制を法制度として確立しませんでした。1772年のサマセット事件判決は、イングランドにおける奴隷所有者の権利に大きな制約を与え、本国と植民地との法的な違いを象徴する事件となりました。
その結果、帝国の外縁では奴隷労働を利用しながら、本国では「自由な英国人」という理念を維持するという二重構造が生じました。
11.ところが本国では児童労働が広がった
奴隷制度が本国で一般化しなかったからといって、イギリス社会が人道的だったわけではありません。産業革命によって大量の工場労働者が必要となり、女性や子供まで長時間労働へ組み込まれました。児童労働、炭鉱労働、工場事故、都市スラムなどが深刻な社会問題となります。象徴的なのは綿工業です。アメリカ南部などの奴隷労働によって生産された綿花がイギリスへ運ばれ、マンチェスターなどの工場で低賃金労働者によって加工されました。
したがって近代イギリスの工業化は、海外の強制労働と国内の低賃金労働が世界市場の中で接続されるという構造を持っていました。
12.そこからマルクスとエンゲルスが登場する
この産業社会を目の前で観察したのがマルクスとエンゲルスです。特にエンゲルスはマンチェスターの工業社会を調査し、1845年に『イギリスにおける労働者階級の状態』を出版しました。マルクスもロンドンでイギリスの議会資料、工場査察報告書、経済統計などを研究し、『資本論』の分析材料としました。
マルクスが問題としたのは、「悪い資本家がいる」という個人の道徳性ではありません。むしろ、資本家が競争の中で利潤を追求すれば、労働者からより多くの剰余価値を取り出そうとする力が構造的に働くという資本主義そのものの仕組みでした。
13.ところが革命はイギリスでは起きなかった
マルクスが注目した最も工業化されたイギリスでは、結局マルクス主義革命は起きませんでした。イギリス社会は、
選挙権拡大
労働組合
工場法
労働時間規制
社会政策
などによって制度を段階的に変更していきました。つまり資本主義を廃止するのではなく、資本主義が生み出す矛盾を政治制度の中で修正する方向へ進んだわけです。これも、奴隷制廃止の場合と共通するイギリス史の特徴として見ることができます。
14.革命はむしろロシアで起こった
マルクスが想定した高度工業国ではなく、工業化の遅れたロシアで1917年に革命が起こりました。そこでレーニンは、自然発生的な労働者運動だけでは革命は成立しないとして、職業的革命家からなる「前衛党」が労働者階級を指導するという理論を発展させました。ここからボリシェヴィズムが生まれます。そしてこのソ連型の党国家モデルが、中国共産党にも大きな影響を与えました。
15.現代中国に現れた歴史的逆説
ここから、最初の話とは一見遠く見えた現代中国の問題につながります。中国は社会主義・マルクス主義を掲げる国家ですが、改革開放以後の急速な工業化では、地方から都市へ移動した「農民工」が巨大な労働力となりました。戸籍制度による都市住民との社会保障格差、長時間労働、低賃金、独立労働組合への強い制約などが問題となっています。ここには確かに歴史的な皮肉があります。
19世紀のマルクス主義は、産業資本主義によって搾取される労働者を解放する思想
として発展しました。ところが、そのマルクス主義を公式イデオロギーとする中国が「世界の工場」となる過程では、低賃金の巨大な労働者層を利用して工業化を実現しました。ただし、「共産党が資本家以上の資本家になった」と単純化するよりも、
一党支配の政治体制と市場経済が結合した結果、労働者が企業だけでなく国家権力からも独立して団結することが難しい構造が形成されたと表現したほうが正確です。
16.この対話全体を一本の歴史として見る
以上の話を一本につなぐと、非常に面白い流れになります。
第1段階 交易の時代 ポルトガルが航路を開拓し、海上交易によって繁栄する。
第2段階 制度の時代 オランダとイギリスが、株式会社・金融・海軍を組み合わせ、交易を国家的システムへ発展させる。
第3段階 大西洋世界 植民地と奴隷貿易を巨大な国際経済システムへ組み込む。
第4段階 産業革命 交易による富だけではなく、機械と工場によって大量生産する「産業資本主義」へ移行する。
第5段階 社会問題 工業化によって労働者・女性・児童の過酷な労働問題が発生する。
第6段階 マルクス主義 資本主義の矛盾を理論化し、労働者による社会変革を構想する思想が誕生する。
第7段階 ボリシェヴィズム ロシアでは前衛党による革命・一党支配という別の形へ変形する。
第8段階 中国 その政治体制を継承した中国が、市場経済と巨大な低賃金労働力を利用して「世界の工場」になる。
結論――歴史を貫いているもの
この一連の歴史を眺めると、中心にあるのは単なる「資本主義対共産主義」
ではありません。むしろ、国家や社会が、人間・資本・技術・制度をどのように組み合わせて「生産力」を最大化するのかという問題が、500年間一貫して存在しています。
ポルトガルは航海技術によってそれを行いました。イギリスは金融・海軍・植民地・株式会社によってそれを行いました。産業革命期には、機械と低賃金労働によってそれを行いました。マルクスはその仕組みに内在する搾取を批判しました。しかしマルクス主義を掲げた国家も、国家建設や工業化を急ぐ過程では、結局大量の労働力を組織し、生産性を高める必要に迫られました。そこで現代中国では、「労働者解放を掲げる国家が、世界最大級の工業労働力を強力に統制する」という逆説が生じています。
そして最も興味深いのはイギリスです。イギリスは、奴隷貿易から奴隷貿易廃止へ、植民地主義から自由貿易へ、苛酷な工業資本主義から労働者保護へと、矛盾を抱えながら制度を修正してきました。革命によって国家体制そのものを一度破壊するのではなく、既存の制度を少しずつ組み替えることによって、生き残ってきた。
ポルトガル、イギリス、マルクス、ロシア、中国まで話をたどってみると、結局ここが非常に大きな歴史的テーマとして浮かび上がってきます。
「強い国家とは、一つの正しい思想を持ち続ける国家ではなく、環境が変わったときに自らの制度を変更できる国家なのではないか」という問いです。
おだやかに歳を重ねているんだろうな~ 綿矢りささん
綿矢りさが20代で金原ひとみと同時受賞で芥川賞作家になって22年か。その後、結婚や出産を経ての40代。金原ひとみが人間関係では苦労の多い日々を送ってきたことはその作品からもにじみ出ているが、逆に綿矢りさは、穏やかな結婚生活や妊娠出産を経ての今、なんだろうなと勝手な想像してしまう。
現代の妊活、男女共同参画社会、男性育休などをもりこみながら女性の生きづらさ、いや、パートナー男性も生きづらいのだろうが、を描き、わりとスッキリできる作品。
妊活している女性のパートナーや、出産をひかえている女性のパートナーは、読んで肝に銘じるべき。自分は、30~40年前にそれができなかったなぁ、と反省もある。
もちろん、一緒に金原ひとみが同じテーマを扱ったマザーアウトロウも読むべき。
100年前のゾルゲ事件をChatGPTと語り尽くす!
(Fontana)ゾルゲ事件において、ゾルゲはドイツのナチズム、尾崎は日本の国家社会主義(=軍国主義)に対抗できるのは共産主義だと思っていた。しかし、共産主義の行く末は、もっとひどい独裁だったという皮肉か?
(ChatGPT)はい。その見方にはかなり深い歴史的皮肉があります。ただし、「ゾルゲと尾崎は自由民主主義を守るために共産主義を選んだ」わけではないことと、日本の軍国主義とナチズムをそのまま「国家社会主義」と同一視しないことの二点は押さえた方がよいと思います。
ゾルゲと尾崎は、ある意味で同じ敵を別々の場所で見ていた
リヒャルト・ゾルゲにとって最大の敵は、母国ドイツを支配したナチズムでした。ゾルゲ自身は第一次大戦後に共産主義者となり、最終的にはソ連軍情報機関の工作員として活動します。
尾崎秀実の場合はもっと複雑ですが、日本の中国侵略、軍部主導の国家体制、資本主義・帝国主義の行き詰まりを批判し、それを超克する思想として共産主義に可能性を見ていました。尾崎が単純な「ソ連型社会の輸入論者」だったわけではなく、「東亜協同体」など独自のアジア秩序論にも関わっていたことは重要です。尾崎の思想評価が現在でも一義的ではないことは、研究史そのものにも表れています。(国立国会図書館サーチ(NDLサーチ))
したがって二人には、
ファシズム・軍国主義・帝国主義という現実に対抗する、より普遍的で平等な未来として共産主義を見た
という共通点があった、と考えてよいでしょう。戦後の研究でも、ゾルゲや尾崎を動かしたものとして「共産主義こそ資本主義を超えた未来を開く」という信念が指摘されています。(国立国会図書館デジタルコレクション)
ただ、ここからが皮肉です。
彼らが活動していた時点ですでに、スターリン体制は独裁化していた
「後になって共産主義が独裁になった」というだけではありません。
ゾルゲ事件の主要な活動期である1930年代後半には、ソ連ではすでにスターリンの一党独裁が確立し、大粛清が進行していました。
つまり、
ナチス・ドイツの独裁に抵抗するゾルゲが、その情報を送っていた相手はスターリンのソ連だった
わけです。
ここにはかなり強烈な矛盾があります。
しかもソ連の対外政策には、通常の国家外交とコミンテルンによる世界革命活動という二重構造があり、日本側もその二面性を認識していました。近年の研究でも、この「二つのロシア」という矛盾した性格が指摘されています。(ケンブリッジ大学出版局)
ですからゾルゲについては、
「自由を守るためスターリンを選んだ」
というより、
「ナチズムを倒すことを最優先し、そのためにソ連共産主義の側に自己を完全にコミットした」
と理解した方が近いでしょう。
尾崎の場合の皮肉は、さらに大きい
尾崎が処刑されたのは1944年です。
したがって彼は、
1949年の中国共産党政権成立も、
毛沢東時代の反右派闘争も、
大躍進政策も、
文化大革命も
知りません。
尾崎が中国革命に期待していた「帝国主義からの解放」「社会的不平等の克服」「アジアの新しい秩序」が、その後どのような政治体制へ帰結するのかを見ることなく死んだわけです。
ここには確かに、
日本の軍国主義的独裁を克服する未来として共産主義を選んだ人間が、その共産主義がさらに巨大な一党独裁国家を作るところを見ることなく処刑された
という歴史の皮肉があります。
ただ「もっとひどい独裁だった」と単純に順位付けすると議論が少し粗くなります。
ナチズム、日本の戦時体制、スターリニズム、毛沢東体制は、それぞれ理念も制度も暴力の対象も異なります。
しかし自由主義的な観点からみれば、
反対党の禁止、言論統制、秘密警察、政治犯、国家による思想統制、指導者への権力集中
という点で、彼らがファシズムへの対抗物として期待した共産主義も、結局は別種の大規模な独裁体制を生みました。
その意味では「皮肉」という表現は適切です。
もっと根本的な皮肉は「独裁に対抗するため、別の独裁原理を選んだ」こと
ここまでの我々の話とつなげると、もっと面白くなります。
1930年代には世界的に、
自由主義的議会制民主主義が失敗した
という認識が広がっていました。
世界恐慌が起こる。
失業が増える。
政党政治は腐敗しているように見える。
国際連盟は戦争を止められない。
そこで左右の知識人の双方が、
「議会で延々議論している時代ではない。強力な国家が社会全体を計画的に動かすべきだ」
と考え始めます。
右から出てきた回答が、
ファシズム・国家社会主義・日本の国家改造論。
左から出てきた回答が、
ソ連型共産主義。
両者は互いを宿敵としました。
しかし方法論を見ると、奇妙に似てきます。
|
ファシズム型 |
ソ連共産主義型 |
|
|
議会制 |
否定・形骸化 |
否定 |
|
複数政党 |
排除 |
排除 |
|
経済 |
国家統制 |
国家計画 |
|
個人 |
国家・民族に従属 |
階級・党・国家に従属 |
|
言論 |
統制 |
統制 |
|
秘密警察 |
あり |
あり |
|
反対派 |
弾圧 |
弾圧 |
|
正当化原理 |
民族・国家 |
階級・革命 |
つまり両者は理念としては正反対なのに、
「社会の正しい目的を国家が決定し、強力な組織が国民をそこへ動員する」
という統治技術では接近してしまった。
20世紀前半の大きな悲劇はここにあると思います。
そしてゾルゲ事件は、その矛盾が一人の人間の中に凝縮されている
ゾルゲはナチ党員を装い、駐日ドイツ大使館の信頼を得ます。
一方ではヒトラーの国家社会主義の内部に深く入り込みながら、
その情報をスターリンの国家へ送っている。
したがってゾルゲという人物そのものが、
二つの巨大な全体主義体制が衝突した20世紀
を象徴しているとも言えます。
そしてさらに皮肉なのは、ゾルゲが命を懸けて情報を送ったスターリンが、ゾルゲの警告を必ずしも全面的には信用していなかったことです。
ゾルゲは理念としてソ連に忠誠を尽くしましたが、スターリン体制にとって一人の諜報員は、必要なら切り捨てられる存在でもありました。
尾崎の場合は「思想の善意」の問題が残る
尾崎はもっと考えさせられます。
彼を単なる「ソ連のスパイ」とだけ見ると、この問題は見えません。
逆に「平和のために戦った理想主義者」と美化しても見えません。現在の研究でも、尾崎を「売国奴」か「世界平和の殉教者」かという二択では捉えられないことが指摘されています。(国立国会図書館サーチ(NDLサーチ))
尾崎が本気で、
日本の中国侵略を止めたい、
資本主義と帝国主義を乗り越えたい、
東アジアに新しい秩序を作りたい、
と考えていたとしても、
その実現手段として秘密工作とソ連への情報提供を選びました。
ここには、
目的が正しければ、非民主的な手段を用いてもよいのか
という問題があります。
そしてこれは20世紀の革命運動全体に付きまとった問題でもあります。
「正しい社会」を作るためだから、
秘密結社が必要だ。
前衛党が必要だ。
反対者を排除する必要がある。
革命後しばらく独裁が必要だ。
そうやって例外措置を積み重ねていくと、
「自由な社会を作るために自由を停止する」という逆説
にたどり着きます。
そして「一時的」であるはずだった独裁が恒久化した。
これがソ連型体制の非常に大きな問題でした。
だからゾルゲ・尾崎を「愚かだった」と切って捨てるのも違う
ここは歴史を見る上で重要だと思います。
私たちは、
スターリンの大粛清も、
強制収容所も、
毛沢東の大躍進も、
文化大革命も、
ソ連崩壊も
知っています。
しかし1930年代の人々は、その結末をすべて知っていたわけではありません。
しかも当時目の前にあったのは、
ナチス・ドイツ、
日本の中国侵略、
世界恐慌、
植民地主義、
人種差別
でした。
その現実を見た知識人が、
「既存の資本主義・帝国主義に代わる新しい社会が必要だ」
と思ったこと自体は理解できます。
問題は、
「何を否定したか」より「その代わりに何を信じたか」
だったのでしょう。
ここまでの議論をつなぐと、イギリスがまた出てくる
そして面白いことに、ここで最初のイギリスの話へ戻ります。
イギリスも19世紀には、
児童労働、
極端な格差、
帝国主義、
奴隷制
という巨大な問題を抱えていました。
しかし、その矛盾を解消するために、
国家を一度壊して「正しい社会」をゼロから建設する
という道を最終的には選びませんでした。
選挙権を少しずつ増やす。
労働組合を認める。
工場法を作る。
労働党を議会へ入れる。
福祉国家を作る。
つまり、
不完全な制度を壊すより、不完全なまま修理し続けた。
1930年代のゾルゲや尾崎のような知識人には、こうした自由民主主義の漸進主義は、あまりにも遅く、無力に見えたのだと思います。
しかし20世紀全体を振り返ると、
「正しい社会を一気に作ろう」とした国家ほど巨大な強制を必要とし、「不完全な社会を少しずつ直す」制度の方が結果として人間の自由を守った
という、さらに大きな歴史の皮肉が浮かび上がります。
ですからFontanaさんの問いを少し言い換えるなら、
ゾルゲと尾崎の悲劇とは、独裁に抵抗したことではない。
独裁を克服するには、それよりも「正しい」強力な国家が必要だと信じたことではなかったか。
という問いになると思います。
これはゾルゲ事件を単なるスパイ事件ではなく、**「20世紀はなぜ自由主義よりも左右の全体主義に魅了されたのか」**という思想史の問題として見る視点で、かなり面白いと思います。
ちゃぶ台返しが多すぎて、ややリアリティに難あり
ワシントン・ポーシリーズ、3作目はAudibleと図書館本のハイブリッドで。ネットを利用して、集団自殺を引き起こしたり、犯罪を犯させたりするという事件が本当にあるのだ・・・そういう現代犯罪図鑑的な面白さはある。ポーとティリーのコンビもいい感じだが、8-9割すすんだところでちゃぶ台返し的な展開は・・・そこまではどうだってなりたつだろうと思ってしまうな。ポーのひらめきもややご都合主義。ボッシュに比べてまだ甘いかな。
ここでシリーズの概観をまとめておくと
全ての末尾に作者の謝辞が書かれており「また1年後」と結ばれていることから年1作ペースで書いてくれているようだ。「ハリー・ボッシュ」シリーズがほぼ終了した今、そのテイストはこのワシントン・ポーシリーズに引き継がれたと思う。
ただし舞台はイギリス、それもカンブリア州なのでボッシュの舞台LAに比べて、日本人読者にもとっつきやすい。
世の中に尽きることのないエンタメの世界あり!