El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

ぼけと利他

「ぼけ」が、利他に必要な「ずれ」を産み出す

伊藤亜紗さんが目下研究テーマとしている「利他主義」、単に他人(ひと)のために何かをしてあげるということではなく、何かをしてあげることが行為者である自分の中に何か変化を産み出す・・・。なので、何かをしてあげたことがされたほうにとって重荷や負担になってはダメ・・そこのところが難しい。してあげるという気持ちではなくて、そうすることで自分にも変化が生まれることがじんわりうれしい・・そんな感じ。ところが、世の中の誰かに何かをしてあげるという行為はどうしても「してやった」感、「してもらった」感を作り出すことがなかなか避けられない。

ところが、この本のもう1人の著者村瀬孝生さんは長年介護施設を運営している人で、彼の経験では、認知症といわれる老人とのやりとりの中では「してあげる」「してもらった」という関係にならない(ボケているから)訳で、そうすると利他的なよろこびがじんわりこみあげてくるらしい。つまり、「ぼけ」による「ずれ」が利他を純化してくれるみたいだ。

というような、「利他・ずれ・ぼけ」を巡る1通あたり10ページほどもあるメールのやり取りが36通に渡って繰り広げられる本。話はあちこち飛んで、ずれて、正直取り止めのないところもあるのだが、取り止めのなさがまた「ずれ」を産んで・・なんとなく「利他のこころ」が自分の中にも芽生えてくる。というか、わざとずらしているんではと思えるところも。

日常的に老人に接していて「ぼけ」に悩まされているのであれば、ちょっと違った視点から「ぼけ」を感じられるかも。利他のこころがちらりと見えてきたような(ぼけの人70人とおしゃべりしてきた日に思う)。