El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

なりすまし(レビューその1)

著者自身を知り、映画も見て、複合的に取り組むべき傑作

まず著者のスザンナ・キャハランを知らないと面白さがわからない。2009年に24歳の才媛の記者だった彼女が希少難病「抗NMDA受容体脳炎」という自己免疫による脳炎になる。しかし症状は統合失調症そっくりで精神科医に統合失調症と決めつけられ危うく命を落としかねない状態から、神経科医(精神科ではなく神経内科)の奮闘で正しい診断にたどりつき一命をとりとめた。「なりすまし」とは、身体の病気なのに精神病になりすます疾患があるということでもある。

その体験を彼女自身が本にまとめたのが「脳に棲む悪魔」

この本を原作としてクロエ・グレース・モレッツ主演で映画にもなりました。

彼女が目覚めるその日まで(字幕版)

彼女が目覚めるその日まで(字幕版)

  • クロエ・グレース・モレッツ
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そうした経験を通してスザンナには精神医学に対する不信と「抗NMDA受容体脳炎」のような「なりすまし精神病」を啓蒙しなくてはという思いが強くあった。そして精神医学がどうして自分に対して無力だったのか・・・というあたりから今回の本「なりすまし」が誕生する。そのレビューは「その2」で。

ちなみに「抗NMDA受容体脳炎」は日本では「8年越しの花嫁」という実話本が出ていて、当時「抗NMDA受容体脳炎」を知らなかった、わたしは、自分の不明を恥じてこうして医学本レビューを書き始めた・・・という因縁もある。

こちらも映画化されました。

まあ、この程度の予備知識がまず必要。

次に精神医学の歴史、これは今回の「なりすまし」でもかなりよくわかりますが、わたしの3年前のレビュー(下記)が役にたつかも。

さらに1970年頃のアメリカの精神病院を描く名作「カッコーの巣の上で」も併せて見ておくとさらに良い。

カッコーの巣の上で (字幕版)

カッコーの巣の上で (字幕版)

  • ジャック・ニコルソン
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以上、「なりすまし」予習編です。→本編は

 

オーディオ小僧のアナログ放浪記

レコードを聴くのにどこまで投資するのか・・・それが問題!

現在、音楽はAmazon Music(HD)とApple Musicの二つのサブスクで充分満足している。書斎(というか自室)はMarantzのCDレシーバーとスピーカーはDALI Menuet、リビングはDENONのCDレシーバーとPolk Audioのスピーカー。どちらもHEOSというソフトでAmazonのハイレゾ曲を聴けて、もうそれで充分。Apple Musicは更新しなくても済みそう。

一方で、書棚に中高生の時から買い集めてLPレコードのうち11枚がなぜか生き残っている。いつか聴いてみたいと思っていたが、いまさらレコードプレーヤーを買うのもなあ・・・。場所とるし

そんなところに登場したのがオーディオ・テクニカのサウンド・バーガー!

限定7000台で直販サイトでの販売のみ。転売ヤーに伍して3度目のチャレンジでなんとか購入できた。早速、50年前の天地真理のデビューアルバムを聴いて・・・なつかしさに涙・・・

そうすると、もっとちゃんとしたレコードプレーヤーがほしい!となるよね。というわけで、お馴染みオーディオ小僧の本を読む。うーん、しかしレコードメインではない環境でレコードプレーヤーにどこまで投資するのか難しいことがよくわかる。

とりあえずはレコードを少し増やしてみて考えてみたい。

<訃報>渡辺京二さん 92歳

12月25日老衰のため死去・92歳

レビューはそれほど書いていないが「逝きし世の面影」「黒船前夜」「バテレンの世紀」など、本が出れば読む、そんな作家のひとり・渡辺京二さんが今日亡くなったようだ。

一次史料にとどまらず、多くの資料をずっと読んでいるのだろう、結果的に書かれたものはオリジナリティはそれほどではないが、渡辺先生のペンを通過することで、読みやすく理解しやすくなる。まあ言ってみれば「文学・歴史に強いYouTuberが文章で表現した」ようなところがある。

What's new?をやかましく言う人には物足りないかもしれないが、私にとっては良き歴史の先生でした。

かたちだけの愛 Audible

誰かを愛しているときの自分を愛せる(肯定できる)時

年末進行で読書時間が取れない中、移動時間は長くなりがちでAudibleへ。「決壊」があまりにつらい話なので一時中断して平野啓一郎の作品では少しは明るそうな「かたちだけの愛」へ。

主人公・相良(あいら)が「かたちだけの愛」しか知らないところから、誰かを愛しているーそして、そうやって人を愛せる自分自身をもまた愛せるという境地に達するまでの姿を描く。

男好きするタイプだった母へのアンビバレントな思い。母が何人もの男を愛したのはなぜ?それもまた「かたちだけの愛」から抜け出したかったから?

「かたちだけの愛」の対極に「真の愛」があるとして、そしてそれが、その愛をいつくしむ自分自身をも肯定できる・好ましいと思える、そんな「愛」だと・・・その入れ子状態の気持ちが分人主義・・・それって「本当かな?」という気はする。

分人主義が先にあって、それを愛情方面に適用したらこんな話になるのかもしれない。怖くなって下巻を読めていない恐ろしい小説「決壊」に続く分人主義小説としてはスィートすぎるような気はする。勉強不足?

新・私の本棚 (4)脳は考えるためのものじゃない!?医師が読み解く「脳科学」

https://membersmedia.m3.com/articles/6799#/

65歳すぎの元外科医ホンタナが、医学知識のアップデートに役立つ一般向け書籍をセレクトし、テーマごとに同世代の医師に紹介するブックレビューのサード・シーズン「新私の本棚・65歳超えて一般書で最新医学」の第4回。今回のテーマは「脳科学」です。

脳科学といえば、いったい何を研究しているのかよくわからない、マスコミなどによく登場する、自称「脳科学者」って人、多いですよね。

その中には実際に大学や研究施設で脳の構造や機能を追究している研究者、人工知能とからめて人間の脳を論じるITの研究者、さらには抽象的な話に終始する、まさに自称(?)脳科学者もいて、脳科学っていったい何?と思っている人も多いかもしれません。そこで今回は、最近の「脳」について、一般書の中からアプローチの異なる3冊をとりあげ、そこからさまざまな脳科学を読み解いてみました。

エンタメ感覚でわかる、記憶のメカニズム

1冊目は「つむじまがりの神経科学講義」。メイン・テーマは「記憶のメカニズム」です。「記憶するときに脳の中では何が起こっているのか」について超ミクロレベルで研究されており、その最前線をエンタメ風味で教えてくれます。

表紙に「神経科学のエンタメ化に成功!!」とあるように、しばしば挟み込まれる小ネタやコラムがとにかく面白い。笑って読んでいるうちに、ニューロンを中心とした神経解剖学と神経生理学の基礎から、著者が研究人生のほとんどをささげてきた記憶のメカニズムまで、幅広く学べます。

 脳は膨大な数の神経細胞(ニューロン)のネットワーク(この本のカバーイラストを参照してください)によってできています。そして、ニューロンとニューロンの間の情報の伝達は、ニューロン同士がごくごく狭いギャップを残して近接しているシナブスという部分でおこります。くっついていそうでギリギリくっついていないギャップ、それがシナプスです。

シナプスというギャップがあるために、ニューロンとニューロンの間は電気回路のようにはスムーズに信号が流れません。信号の送り手側のニューロンからギャップ空間に伝達物質(グルタミン酸)が放出され、受け手側のニューロンにある受容体が伝達物質をキャッチすることで、スイッチ・オンとなって信号が伝わるのです。

そんなすごく面倒くさいことが脳の中に膨大に存在するシナプスで起きています。そしてこの面倒くささこそが、記憶のメカニズムの本質なのです。

脳はこうして鍛えられる

例えば「犬のぬいぐるみ」を見せられて「イヌ」という言葉を聞かされる、その時脳の中では視覚のニューロンが犬の形を認識して信号を発生し、同時に聴覚のニューロンは「イヌ」という音に対応した信号を発生します。

 そういう同時発火を何度か繰り返していると、形と音をつなげるシナプスのグルタミン酸受容体が増えていきます。受容体が増えることで、犬をみたら「イヌ」という音を感じ、「イヌ」という音を聞けば犬の形を思い出すという回路が形成されるのです。つまり受容体の増加=記憶と言えるわけです。

こうした刺激を受ければ受けるほど、刺激を受け取りやすくなるような受容体の生化学的メカニズム(LTP=Long Term Potentiationと呼びます)が存在し、それが記憶の源泉になっています。さらに LTP を繰り返していると、その部分のシナプスの密度も増加していく(RISE=Repetitive LTP-Induced Synaptic Enhancementと呼びます)こともわかってきました。

脳内のニューロンの回路そのものは、生後早い段階でできあがるといわれていますが、その後の学習で LTP や RISE によって受容体が増え、記憶が作られると同時に記憶の容量も増えていく、そんなイメージでしょうか。勉強を繰り返して脳を鍛えるとはそういうことですね。

記憶研究を学ぶことで広がる新しい世界

このシナプスに存在するグルタミン酸受容体はいくつかのパーツにわかれており、その一つを NMDA 型グルタミン酸受容体と呼びます。以前に「エクソシスト病、40年越しの解明」で紹介した「抗NMDM受容体脳炎」は、まさにこの受容体が自己免疫に攻撃される脳炎です。記憶の生化学的メカニズムがここまで解明されていることに、とても驚きました。

記憶研究の、まだほんの入り口が見えたところなのかもしれませんが、自分の脳の中にある超絶的な複雑さをあらためて感じます。記憶の研究がこんなふうに進められているのだと知るだけでも、新しい世界が広がりました。

ニューロン中心主義に
「待った」をかける一冊

ところが、2冊目の「脳を司る『脳』」は、脳の働きはニューロンが担っているという「ニューロン中心主義」の常識を覆そう、というテーマの本です。ニューロンの容積は脳の半分以下しか占めていない。では残りのスペースはどうなっているのだろう、というわけです。

即応性が必要な感覚器や運動器と脳の連絡は、ニューロンによって行われています。しかし、もっと時間的にスパンの長い、たとえば「気分」とか「やる気」というような、いわば「脳のムード」は、どう調整されているのでしょう。そこで登場するのが、シナプス伝達ではないスキマ部分を介した、少しゆっくりとした伝達系の存在です。

脳の気分をコントロールする
「神経調節物質」

 脳の中には青斑核や縫線核などの名前がつけられている場所があり、そこのニューロンは急速なシナプス性の情報伝達だけではなく、ノルアドレナリンやセロトニンなどの物質を脳内に放出することで、ゆっくりとした拡散性の伝達を担っているらしいのです。これらの物質を「神経調節物質」と呼びます。

そういった脳の部位と神経調節物質の関係は

  • 青斑核→ノルアドレナリン→脳に何か危険なことがおこりつつあるというアラートを発する。
  • 縫線核→セロトニン→本能的な行動、血圧や体温、摂食や性行動、睡眠サイクル、気分。←抗うつ薬SSRIはここに作用
  • 黒質→ドーパミン→運動機能(特に随意運動)と情動機能
  • 内側中隔核・マイネルト基底核→アセチルコリン→記憶や学習、脳のモードチェンジ

などがわかってきています。脳のムードをコントロールしていることから多くの疾患の原因でもあり、治療のターゲットにもなっています(例:黒質→パーキンソン病)。

睡眠時間やアルツハイマー病にも関係
脳脊髄液の研究も盛んに

さらに、これまでは脳のショックアブソーバーくらいにしか思われていなかった脳脊髄液についても言及されています。脳脊髄液の量は成人で150mlくらいですが、一日の循環量(産生量)は450ml。つまり一日に3回もターンオーバーしており、この経路で脳内の老廃物を廃棄しています。

睡眠時間やアルツハイマー病などはこの老廃物廃棄と大きな関係があることから、今まさに研究が盛んな分野になりつつあるようです。

このように、ニューロンだけでなくさまざまな伝達系や脈管系が脳を構成しており、これまでの研究しやすいニューロンだけにフォーカスしていた脳研究とはまたちがった研究の方向性がよくわかりました。

脳全体をざっくり理解するならこの一冊

このように脳科学にもいろいろな方向性があるのですが、それぞれに方向性がばらばらな感じがします。もっと脳を全体としてすっきり理解することはできないものか…。そんな思いで手に取ったのが、3冊目の「バレット博士の脳科学教室 7½章」です。

脳をいろいろ分解して考えるのではなく、脳全体の機能はなんなのか、そしてそれを実現するために脳全体で何をしているか、という具合に、全体をざっくりと考えるこの本は、まさに「脳とは何か」という本質がすっきりはっきり見えてくる一冊でした。

脳全体の機能について、冒頭のLesson1/2(序章にあたる)にずばり「身体全体を維持するための予算管理、つまりインプットとアウトプットの調整管理」と書かれています。その管理を可能にするのが、脳の「インプットによって適切なアウトプットを出力しながら自身も変化していく可塑性のあるネットワークの固まり」だという特性です。

コンピューターのCPUもインプットに応じてアウトプットを出力するのですが、脳の場合はインプットを受けることによって、回路そのものの構成さえも刻々とチューニングされる――必要なネットワークは強化し、使われなくなってきたネットワークは減弱していく――で実現されているのです。まさにインプットに応じて自己変革しながらアウトプットしているわけです。

脳とは、これまで受けてきた刺激によるチューニングによって作り上げられ、この先も作り変えられる可塑性のあるネットワークの固まりにほかならない…。そのことを7・1/2章の階段をのぼるように理解できていきます。

脳がよくわかる7つのレッスン

 章ごとにまとめると、このような内容です。

  • Lesson 1/2 脳は考えるためにあるのではない
    脳は、身体のエネルギーを効率的に利用して生き残りを図るために進化してきた。(「考える」力は結果的に生じた副産物にすぎない)
  •  Lesson 1 あなたの脳は(3つではなく)ひとつだ
    大脳辺縁系や植物的脳と皮質脳を対立的に考える三位一体脳説の誤りを指摘し、脳は1つのネットワークであることを説く。(解剖学的にバラバラに分けて考えない)
  •  Lesson 2 脳はネットワークである
    脳は、「ところどころにハブを配置した効率的航空ネットワーク」に例えられる高次元ネットワークにほかならない。(ハブ=Hub:終結点)
  • Lesson 3 小さな(生まれたての)脳は外界にあわせて配線する
    ネットワークの配線は、出生時にすでにある基本ネットワークの上に外界(おもに親)と緊密に接することで施されるチューニングやプルーニング(pruning=不要部分の剪定)によって、乳幼児期に急速に作られる。このネットワークは使えば使うほどできる。
  •  Lesson 4 脳は(ほぼ)すべての行動を予測する
    脳はその後の人生経験によってもチューニングやプルーニングを続ける。行動を起こす場合も脳の中では過去の蓄積から行動前に(意識されない)予測がなされている。机上の鉛筆を手に持つときロボットは位置を認識して拾い上げるが、人間は鉛筆をもって書くところまでを無意識に予測し、拾いながらグリップして紙の上に運ぶという一連の動作を無意識に行う。
  • Lesson 5 あなたの脳はひそかに他人の脳と協調する
    乳幼児期を過ぎても、脳は他者とのかかわりのなかで主に言語によりチューニングやプルーニングを繰り返している。
  • Lesson 6 脳が生む心の種類はひとつではない
    脳のネットワークは心や気分をも生み出す。快と不快、活発と不活発などの気分は身体のシグナルとして脳のネットワークにフィードバックされ、脳のネットワークの気分を変調する。
  •  Lesson 7 脳は現実を生み出す
    脳はチューニングされプルーニングされたネットワークによって予測を行い、身体行動を起こし、その身体活動の結果を新しい経験としてネットワークをリニューアルしていく。その繰り返しの結果によって、今あなたの眼前に広がる社会的現実を生み出している。

「考える」「思考する」は
脳のオマケ機能に過ぎない

 脳は考えるためにあるのではなく、人類以前から(イヌや類人猿やネアンデルタール人でも)生きていくための身体の調整ネットワークとして、脳は存在していました。そして、より効率的な調整ネットワークになるために、視覚や聴覚を作り出したのです。

 さらに、その刺激がまたネットワークを作り換え、その繰り返しの結果として複雑にからみあったネットワーク機能の総合的な活動である「考える」「思考する」というオマケがついてきた―というふうに捉えると、スッキリします。

まとめと次回予告

脳のことを学んでみると、生まれたての赤ん坊であった自分の脳のネットワークをいつくしみ育ててくれた両親に感謝すると同時に、自分は自分の子どもの脳のネットワークをきちんと育てられたのだろうかと不安にもなります。

また、日本では乳幼児を保育園やこども園に預けて両親が共働きという状況が最近一般化していますが、子供の脳の発達に与える影響を考えると少し怖い話かもしれません。

さて次回は2023年、新年とはいっても、この歳になると「また歳をとる」という感覚のほうが強いです。そこで年頭にちなんで、医学からは少しはなれますが、医師も含めた理系人間の老後のすごし方を先達の書いた3冊で読み解いてみたいと思います。取り上げるのは、

還暦以後」「読む・打つ・書く」「工学部ヒラノ教授の徘徊老人日記
 の3冊です。お楽しみに。

よいお年をお迎えください。

京都不案内

「京都はだれもが苦手」、そこから一歩進むには?

京都不案内

京都不案内

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せっかく関西に住んでいるのだからと、定期的に京都や奈良にでかけて寺を巡ったりしている。奈良は友人が住んでいたり、馴染みの呑み屋ができたりしたのだが、京都はどうもまだまだ「お客さん」状態だ。そこで知っている著作家の京都本が出ると読んでしまう。

著者は、「谷中・根津・千駄木」いわゆる「谷根千」のミニコミ地域情報誌で有名になったが、わたしはちょうどその頃、大学院で千駄木に住んでいたので「谷根千」も読んでいたという縁がある。

本の帯に「京都を暮らすように旅するー。」とあるが、読んでみると「暮らすように旅する」には、京都人の知り合いがそれなりの数いることが必要だと思う。

あくまでも「一見(いちげん)さん」は「つかの間のお客」としてしか扱われない、それが京都の土地柄。もちろん外来者に冷淡なのはどこの町でもあるだろうが、町の歴史が浅かったり、そもそも外来者が主体でできた町(東京や大阪)では、外来者を取り込んでいかなくては町がなりたたない。そういう意味で、外来者を一見さんあつかいしても成り立つし、それが一種のシステムになっている・・・と、思う。

本書は、そういう京都人たちとの交友関係あってこその文章ばかり。それは著者がこれまで著作を書く段階でインタビューしたり関連書籍を読んだりする過程ですでに「一見さん」ではなくなっていたからこそ書けたのだろう。「あの人とあの人がこんな関係で・・・」とか「京大の先生御用達で・・・」というネタが多くて、「一見さん」のそして人見知りの男である私にはなじめない。

それでも、そういう内側に入った人にしかわからない話も多く、特にインタビュー(その中でも梅棹忠夫の妹・田中ふき子さんのインタビュー)は、京都人の独特の強さに感銘した。

「はじめに」で著者自身も「私は京都がなんとなく苦手だった」とある。ああ、やはりそうか、京都は苦手というのは非京都人の共通感覚なんだ。だから、数少なくても京都人の知己を頼りにして少しずつ「一見さん」から脱するしかないんだ。