誰かを愛しているときの自分を愛せる(肯定できる)時
年末進行で読書時間が取れない中、移動時間は長くなりがちでAudibleへ。「決壊」があまりにつらい話なので一時中断して平野啓一郎の作品では少しは明るそうな「かたちだけの愛」へ。
主人公・相良(あいら)が「かたちだけの愛」しか知らないところから、誰かを愛しているーそして、そうやって人を愛せる自分自身をもまた愛せるという境地に達するまでの姿を描く。
男好きするタイプだった母へのアンビバレントな思い。母が何人もの男を愛したのはなぜ?それもまた「かたちだけの愛」から抜け出したかったから?
「かたちだけの愛」の対極に「真の愛」があるとして、そしてそれが、その愛をいつくしむ自分自身をも肯定できる・好ましいと思える、そんな「愛」だと・・・その入れ子状態の気持ちが分人主義・・・それって「本当かな?」という気はする。
分人主義が先にあって、それを愛情方面に適用したらこんな話になるのかもしれない。怖くなって下巻を読めていない恐ろしい小説「決壊」に続く分人主義小説としてはスィートすぎるような気はする。勉強不足?