El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

なりすまし(レビューその2)

「なりすまし」はさらに深い「アメリカ精神医療史」

さて、レビューその1を前提に「なりすまし」そのもののレビューを。

2009年に自分を生命の危機に落としかねなかった精神医療ーそこに不信感をいだいたスザンナ・キャハランはジャーナリストとして精神医療の世界の過去・現在・未来を文献やインタビューを通して調査していく。

まず描かれるのは、1960年代まで続いていた中世の風景とも見紛うような排除のための収容所的な精神病院(日本では今でも同じような状態の精神病院はある)。邪魔になった妻を社会的に葬るために精神科医に金を出して精神病と診断させ入院させた、などという黒歴史も描かれる。

そこに第二次世界大戦前後(ユダヤ系のフロイト派精神分析医が大量に米国に来たことに発する)に起こった精神分析ブームが加わる。怪しげな精神病院に精神分析とアメリカの精神医療に対する国民の不信感はその頃(1970年代)かなり高まっていた。

その不信感を爆発させたのが本書の中心に据えられる「ローゼンハン論文」。ローゼンハンという心理学者が自分や部下・学生に統合失調症のふりをさせ(なりすまし)、なんなく精神病院に潜入・入院し、その間に受けた役に立ちそうもない治療内容、診察時間などを細かいデータとして提示し、いかに精神医療がいいかげんなものなのかを暴露する論文がなんと1973年の「サイエンス」に発表された。

そして盛り上がる反精神医療運動が、精神病院の閉鎖や、診断基準の革命的な改訂(1980年刊行のスピッツアーによるDSM-III)につながっていく。ところが、ところが、スザンナがその論文の中身をジャーナリストとして執拗に追ってみると潜入したローゼンハンの記録やニセ患者の記録がローゼンハンの都合のいいように書き換えられていた疑いが浮上。さらに、さらに大半のニセ患者はそもそも存在もしない架空の人物だった可能性まで。多くの関係者はすでに死去しており真相は闇の中ではあるが・・・。

スピッツアーもローゼンハンの不正を知りながら、自分の仕事に役立つとみて見逃していたような様子もある。「いいかげんな精神医療」をただすのに「いいかげんな論文」が使われて、そこからDSM-IIIが生まれた、という皮肉。

そして、なんと、これらの改革の結果が・・・精神病院が閉鎖されても、その際のお題目だった「地域の中での精神疾患患者の受け入れと治療」なんて実現できるはずもなく放り出された患者はホームレスになるか刑務所に入ることに。精神病院に費やされていたコストが刑務所のコストになっていくとは・・・。

そしてDSM-IIIもその根本理念からずれまくり、新型うつ病やADHDのようなグレーゾーンの患者を作り出し、製薬会社の思うつぼに。

「いいかげんな精神医療」をただすのに「いいかげんな論文」が使われたが、その結果もまたかなり「いいかげんな精神医療を増幅させた」・・・それもかなり悪い方向に。そんな時代の果てに、スザンナ・キャハランの脳炎の誤診があり、われわれの生活もまたある。

というわけで、近代以降の精神医療の変遷と、なぜ現状がこんな状態になっているのかをじっくり読み解いてくれる一冊になっている。読後に疲弊はするが・・・。