El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

金閣寺の燃やし方

金閣寺事件にも多面的な見方がある

金閣寺焼亡事件を小説に描いた三島由紀夫と水上勉を比較することで、主に三島の性格的にユニークな部分を描き出すことに成功している。その分析の中では「金閣を焼かなければならぬ」の分析とは若干異なり、実際に放火した林養賢と三島に共通する、破滅的な結末に到らずにはいられないものが確かにあったと感じる。金閣を燃やしたり、自決したりという大きな破滅点に向かって生きるときに生の充実を感じるような生き方とでも言おうか。

一方、水上勉は若狭ー丹後地方の出身として、さらに修行僧であった自分を重ねて林養賢にシンパシーを感じて小説化しており、三島に比べればずいぶん落ち着いた感じであり、苦労人であり大人なんだなと思う。林養賢については「金閣を焼かなければならぬ」の精神分析よりも、著者(酒井順子)を通して知る水上勉の林養賢観のほうがしっくりくる。

東京の人、三島由紀夫と裏日本(日本海側)の人、林養賢・水上勉。私は、東京から神戸に移住してきたが、東京に住んでいたころに比べて関西では「日本海側」についての意識がずいぶん違う。兵庫県も京都府も日本海にも面している。兵庫県の日本海側(但馬)、京都府の日本海側(丹後)、福井県の西部(若狭)を合わせた地域を旅すると山陰とも北陸ともちがった、まさに関西の日の当たらないサイド(居住者のみなさん、すみません)という印象を受ける。そういう地理的な認識があれば酒井順子の見立ても、まんざら間違ってはいないと思う。

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