El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

コミンテルンの謀略と日本の敗戦

ファシズムの自然死でも、コミンテルンの陰謀でもどちらでもよかった

コミンテルンの謀略と日本の敗戦 (PHP新書)

コミンテルンの謀略と日本の敗戦 (PHP新書)

  • 作者:江崎 道朗
  • 発売日: 2017/08/10
  • メディア: 新書
 

 話としては面白い、一気に読める・・・はまりそう。しかし、冷静に考えると、やはり陰謀史観の一種でしかないような気がする。コミンテルンの過大評価では。

ファシズムの末路はどこも似たり寄ったりなのだから、それは共産主義の陰謀というよりは歴史の必然と考えるほうが普通だろう。一方で、プロレタリアート独裁の末路も似たようなものだということも今となってはわかっているので、なんだかあの敗戦が、ファシズムの自然死でも、コミンテルンの陰謀でもどちらでもよかった。どうせ勝ちはしなかったのだから。

著者が望む「保守自由主義」って結局、戦前の上流階級・財閥などの既得権益者の考え方で今でいうところの「ネオコン」であり「リベラル」とは程遠い。そのせいで広がりすぎた格差を、共産主義革命がただすのか、軍国主義全体主義がただすのか、という中で日本は全体主義的翼賛体制が格差是正に働いたというのは事実ではあるだろう。だから、翼賛体制が共産主義的に見えるのは、それはある意味あたりまえ。

戦争自体は、遅れてきた日独伊という帝国主義国家は全体主義という効率化をもってして米英仏といった国家群と戦わざるを得なかった。その全体主義が国内の不平等を(悪い形の)平等に是正(?)していった。だからといって戦争に勝てるわけではない。ソ連の誕生は副次的なものだったろうし、コミンテルンの謀略は考えすぎではないかと(富山旅行のサンダーバードで一気読み)