El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

ユーゴスラヴィア現代史

日本が島国であったことの平和を感じる

ジョコビッチはセルビア人、イワニセビッチはクロアチア人。言語は音声と文法はほぼ同じで表記文字がことなる(セルビアはキリル文字、クロアチアはラテン文字)。宗教はセルビア人が正教でクロアチア人がカトリック。これにモスリム(ボシュニャク人)、モンテネグロ人、スロヴェニア人・・・と、まあ様々な差異がありながらも、ヨーロッパとアジアの接するバルカン半島の西半分は、オスマン帝国やハプスブルク帝国といういわゆる帝国の傘下で、まあ激しく殺しあうことはなくやってきた。

第一次世界大戦でこれら帝国の崩壊、共産主義による洗礼、ファシズム国家の侵略からの対敵協力・傀儡政権・亡命政府にパルチザンと次第に暴力化していく。

第二次世界大戦後は共産主義的パルチザン勢力がチトーを中心に「共産主義」という共通理念で「ユーゴスラヴィア」という人工国家としてしばしの安定。この安定期に民族は通婚や移動で混じりあうわけだが、その安定が壊れたとき、混じりあったために今度は分けられないというジレンマ。そこからの殺戮合戦。近いものほど憎悪が強い。1984年に冬季オリンピックが開かれたサラエボも廃墟に。

根本にはセルビア人・クロアチア人・モスリム、三者の相互憎悪があるが著者があげるのは・・

  1. 民族主義を声高に利用する指導者の政治戦略(民族ポピュリズム)
  2. マスメディアのプロパガンダ
  3. 極右民族主義勢力の歴史的存在
  4. 民族自決や人権を無邪気に混住地域に適用して介入したECやアメリカ
  5. 各地域の警察軍の武器備蓄が常態化していたこと(刀狩は必要)

1~3は日本も他人事ではないという気もするが、島国であることや歴史的に一つの民族による一つの国を形成できたことの幸運を感じる。

複雑なユーゴスラヴィア(といわれた地域)の歴史を一冊で学べました。

(メモ)

柴 宜弘(しば のぶひろ)
1946-2021年
1979年早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了
東京大学名誉教授、城西国際大学特任教授(逝去時)。東欧地域研究・バルカン近現代史専攻
著書―『ユーゴスラヴィアの実験』『ユーゴスラヴィアで何が起きているか』(ともに、岩波ブックレット)、『バルカンの民族主義』(山川出版社)、『図説バルカンの歴史』(河出書房新社)、『バルカン史』(編、山川出版社)、『バルカン史と歴史教育』(編、明石書店)、『ボスニア・ヘルツェゴヴィナを知るための60章』(共編、明石書店) ほか
訳書―クリソルド編『ユーゴスラヴィア史』(共訳、恒文社)、マッケンジー『暗殺者アピス』(共訳、平凡社) ほか

はじめに

第一章 南スラヴ諸地域の近代
 1 オスマン帝国支配下の南スラヴ――セルビア、モンテネグロ、マケドニア
 2 ハプスブルク帝国支配下の南スラヴ――クロアチア、スロヴェニア
 3 オスマン帝国支配からハプスブルク帝国支配へ――ボスニア・ヘルツェゴヴィナ
 4 南スラヴ統一構想の胎動

第二章 ユーゴスラヴィアの形成
 1 セルビア王国の発展
 2 第一次世界大戦と南スラヴ統一運動
 3 擬制の「国民国家」の成立
 4 進まぬ統合と「多民族性」の承認

第三章 パルチザン戦争とは何だったのか
 1 ユーゴスラヴィアの分割
 2 パルチザン戦争の展開
 3 「第二のユーゴスラヴィア」の基礎

第四章 戦後国家の様々な実験――連邦制・自主管理・非同盟
 1 人民民主主義期の改革
 2 理念としての自主管理社会主義の出発
 3 「七四年憲法体制」への移行

第五章 連邦解体への序曲
 1 チトー以後の諸問題
 2 七四年憲法の修正と「連邦制の危機」
 3 東欧変革の流れのなかで

第六章 ユーゴスラヴィア内戦の展開
 1 クロアチア内戦
 2 ボスニア内戦への拡大
 3 ボスニア内戦と国際社会
 4 少数者アルバニア人をめぐる二つの紛争

第七章 新たな政治空間への模索
 1 ユーゴ解体の最終章
 2 ヨーロッパ統合と旧ユーゴ諸国の分断
 3 地域アイデンティティの変容

終 章 歴史としてのユーゴスラヴィア

あとがき
新版追記
主要参考文献