El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

それでも読書をやめない理由

ネット社会との付き合い方

それでも、読書をやめない理由

それでも、読書をやめない理由

 

電子書籍がらみかと思っていたが、どちらかというとネットに蹂躙された社会批判とその中での読書生活についてあれこれ論じる。

著者の経験としてのブックガイドも面白い。ゴールディングの「蝿の王」、フォークナーの「響きと怒り」はじっくり読みたいと思う。また「グレートギャッツビー」は電子化しているけれど読まないとね。

ネット社会との付き合い方・・・やはり散漫になることが最大の害。自分でもそう思う。PCの前に座っているとついついくだらないネット空間にすいこまれていくのは本当に毎日のようにやっていること。一方でPCでしかできない作業もある。だから、PCは目的のある作業にこと使うべき。調べものはできるだけ限定的なデバイス、例えばiPadiPhoneで手元でやる。そこに不自由さがないと吸い込まれてしまう。

音楽を聴く、文章を書く、表計算をするーそうした、目的を実行するのはいい。もし専用デバイスに移せるものは移した方がいい。音楽も携帯デバイスのほうがいい。インターネットにできるだけ近づかないで、専用デバイス化していくのがいい方向か。何でもできる、は人間を散漫にしてしまう。これしかできない機器でできることだけやる。本には本の、音楽プレーヤーには音楽プレーヤーの専用機器があり、ユーザーはその専用機器にアクセスすべき。その入り口にPCがあると、ついつい迷宮に取り込まれてしまう。サーバーとしてのPCはいい。だが、あくまでもサーバーとして使うべき。このあたりのPCとの関係を再考するきっかけにはなった。

できるだけネット空間に近づかない。ニュースサイトもYahooではなく特定の新聞社のものを読む。ネットをシャットダウンすることはできないだろうが、節度と秩序を持ち込む、人間の弱さを織り込んだ仕組みづくり。そういうことなんだな。