El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

コード・グレー

楽をしては人生を味わえず・・・とは、いうものの

久しぶりにハード医療モノを読んでみることにしたが、医療モノのドラマのような世界がそこにあるわけではなく、アメリカも日本と同じようにグレーな医療の世界が広がるのだった。「コード・グレー」

いつの間にか、医療を受ける中心となったのが高齢者になってしまった、というのがその根本にあるように思う。壮年期の不幸な病気をなんとか克服し、社会生活や家庭生活を取り戻し、子どもを育て、老年期を迎える。そのための医療だったはずじゃないか?

それがいつの間にか、先進国では、平均寿命到達周辺の高齢者に過剰とも言える医療をほどこしている。壮年期までの病気が克服されたら、そんなことになってしまった。これは、もうすべての先進国が抱える構造的問題。

今日も救急車が90代の老人を運んでいるのだ・・・・

と、途中までは読んでいたのだが・・・↓あたりは少し考えさせられた。

(P132)

わたしは、奇妙で不愉快な経験をありのままに眺めることに価値があると信じている。不快さを認識することで初めて、自分の考えを整理し、より有意義な形で世界を理解することができる。不快さを認識することで初めて、自分の人生を振り返り、生きて行くうえで本当に大切なものは何かを考えることができる。そして、不快さを認識することで初めて、現状のままでかまわないという意見を否定することができる。

つまり、ここで紹介した物語は、不快さで満たした砂場でたわむれることを許してくれる。立ち止まって、人生の奇妙なめぐりあわせ、手に負えない難題、微妙な美しさをじっくり眺めることを許してくれる。人生そのものをよりよく味わえるようにし、これまで当たり前だと思っていたことに疑問をいだかせる。人間の経験の鮮烈さについて考えさせ、日々の気晴らしよりも自分にとって本当に意義のあることに集中したほうが幸せになれるかもしれないと気づかせてくれる。

だから結局のところ、適切な問いは、物語を取りあげることに「何の意味があるのか」ではなく、その正反対だと思う。つまり、そのような物語を探求せずに人生をおくることになんの意味があるのか?人生をじっくり吟味せずに生きることになんの意味があるのか?

困難に取り組むことこそが人生の醍醐味であるならば、安楽なリタイア生活に意味があるのか、とあらためて問われたような。

書いているのは、おそらく40代の救命救急医なので、そこまで人生の意味を断定されてもね・・という気はする。

余談だが、本が高い、特に「みすず書房」はほぼ3千円オーバー。この本も税込3520円で200ページちょっと。ハガキのような上質紙を使っているが、内容的には新書レベルかと。