El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

南北戦争を戦った日本人

歴史の枝葉末節にも興味深いことはある

「アメリカでは戦争と言えば南北戦争を指す」というものの、日本人にはどうもピンとこないとことがある。年号で言えば1861-1864年。明治維新が1868年なので、南北戦争の間は日本も幕末のてんやわんやだった。ペリー来航が1853年だったことを考えると、江戸幕府に日本の門戸を開けさせたアメリカだったが、すぐに内戦になってしまったことがわかる。1864年の終戦後はアメリカで使われた大量の銃器が日本にやってきて幕末の争乱に使われたという話はなるほどと。

この本は従軍記録から南北戦争に北軍の兵士として参加した日本人が2人いるという事実を深堀りしていくもの。

こんなマイナーなテーマの本を読んでいるのは、所属している中浜万次郎の研究会の年報に書く報告書ネタを探してのこと。ジョン万次郎こと中浜万次郎が遭難漂流してアメリカの捕鯨船に救助されアメリカに滞在したのは1841年~1851年のこと。南北戦争の10年前。その頃のアメリカはどうだったんだろう、という興味から。

まあ、この本の扱っている時期はほぼ万次郎後のことであり、それほど得るところはなかった。ジョン万次郎の日本帰国と入れ替わるように同じように漂流してアメリカにきたジョセフ彦(アメリカ彦蔵)のその後の人生が面白い。よりアメリカに適合してリンカーンと握手までしたジョセフ彦、万次郎より国際的感覚はあったようだ。それなのにその後の歴史の中での知名度はジョン万次郎のほうがかなり有名に。子どもが著明な医師になり親である万次郎の伝記を含めて顕彰に努めたこと、それらの記録に触発された井伏鱒二が小説にしたこと、などが大きく作用しているようだが。そんなメカニズムも面白い。