El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

経済社会の学び方 健全な懐疑の目を養う

タイトルは地味だが、かなり役立つ

web中公新書に連載されて読んでいた「経済社会の学び方」がリアル新書になって出版されたので読んでみた。Web https://www.chuko.co.jp/shinsho/portal/cat-508/ にも連載3回目までは残されていて、それを読んだだけでも続きを読みたくなる人も多いと思う。

著者の猪木武徳先生は阪大の経済学の教授だった人だが一般向けの経済書や趣味の分野でも著作が多い。それらの著作の特徴は経済に限らずとにかくトリビアが多く読んでいて楽しいこと。博学。

そんな猪木先生が、長年の経済学研究さらに広げて社会科学(というのを著者は好まず社会研究と呼ぶのだが)の研究について方法論やピットフォールを6章にわたって開陳してくれる。引用される警句や歴史的事件の紹介もすべてが面白い。

そうした「学び方」が横糸だとすれば、縦糸は「経済学のミニヒストリー」になっており、経済学がこうして進んできて(あるいは間違って)きた歴史があり、そこから「学び方」を抽出するという、多重な構成になっている。

そしてそれが社会研究だけではなく、理系の分野、特に医学のように社会的な要素を含むものにおいてもかなり当てはまる。章立てをみてもそのことはよくわかる。以下にテーマだけだが列挙。

  • 第一章 まずは控え目に方法論を・・・アリストテレスの方法論の矛盾「あることをおこなうためにはそれを前もって学んでいなければならないが、それが学ばれるのは実際におこなわれることによってである」
  • 第二章 社会研究における理論の功罪・・・全体を貫くテーマでもあるが「本質論」「ドクマ」「演繹的な考え方」が社会研究に及ぼす害。これはホントよくある。議論する中に一人、本質論者がいると疲れる。リカードの「比較優位論」は目からウロコ。グローバル・ヒストリーだけでもダメ。「理論の否定的効用=理論ではこうだけれども、そうなっていないのはなぜか、を問うことがポイント」
  • 第三章 因果推論との向き合い方・・・因果関係と相関関係の取り違え。まさに経験科学としての医学。シンプソンのパラドックス。
  • 第四章 曖昧な心理は理論化できるか・・・合理的期待形成ー1918年の米騒動の原因。事実と「事実と信じられたこと」の違い
  • 第五章 歴史は重要だ・・・みだりに現状変更することの危険(改革をうたう政治家の危うさ)。ハイチとドミニカの現在を分けたもの。結局、理論だけではなく「想い」も必要。
  • 第六章 社会研究とリベラル・デモクラシー・・・対立の原因(温暖化でもコロナ対策でも)は、「科学が『絶対的真理』というものに辿り着いていないところにある。つまり、科学的知見と価値の選択に関わる命題が確率的、統計的な命題にとどまる限り、その命題が政治的・経済的利益を左右する場合に科学の政治化は避けがたい。→確率的・統計的にしか表現されない場合、どの考えを選ぶかは政治的になってしまう。コロナしかり、温暖化しかり。