El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

荒涼館(1)

2025年の大作読書

秋から冬に向かい、少し落ち着いて古典の長編を読んでみようと思い、今回選んだのがディケンズの「Bleak House」日本語タイトルは「荒涼館」。岩波文庫で1冊500ページ超×4冊。19世紀ビクトリア朝のイギリス社会を描き切る・・・のか。目標は11月に(1)(2)、12月(3)(4)と進み正月休みで読み終える。まずは、物語の世界にひたっていくことが大事だな。と、自分を鼓舞するようにここに書いてみた。

2025年11月16日現在、(1)の300ページまできた。この小説について「大江健三郎と筒井康隆が対談」した文章が「波」というPR誌に再掲されたのを最近読んだことがきっかけになって読んでいるわけ。「前半から3分の2までにかけて物語がどんどん増殖していくその嬉しさ。そして、最後にはこの物語は全て収斂するということがわかっている安心感。『荒寥館』ではそれが全部満たされている。」とある。まだまだ1冊目の半分ちょい。先は長い。

2025年11月20日(1)を読了!話がふくらみにふくらむので、ついていけなさそうになるが、膨大な登場人物も少しずつ整理されてきて、いよいよここからか。

物語の根底にあるのが、19世紀イギリスの裁判制度。いわゆる法を犯したものを裁く裁判ではなく、相続や権利の争いを裁く「大法官裁判」というのがあったらしい(今でもあるのか?)。

例えば相続で自分に不公平だからと裁判に訴えるとどうなるか・・・これが弁護士や裁判官に食い物にされ、長々と決着がつかないままそもそもの財産が裁判費用に消えていくという構図なのだ。

大きな相続が起こると、もう大変だ。延々と決着がつかないため、相続人の人生もモラトリアムになってしまうし、どんどん財産そのものは目減りしていく。・・

さて、あと3冊、今年中に読み終えられるだろうか

BBCがドラマ化したものがあるらしいが、まずは読書で!