青木雄二が
ドストエフスキー「
罪と罰」をネタに書いた本を図書館で借りて読んだ。「
罪と罰」といい「
レ・ミゼラブル」といい根本に近代における社会悪の中で苦悩する人間たちが主人公。散文小説の主題はA:「社会悪固有の問題」B:「社会悪と個人の人生観が絡み合った問題」C:「個人の人生観固有問題」の三つにわけられるのではないかと私は思うが、近代以降の小説では近代がもたらしたA問題とそれによるB問題が主体となっていくのは当然で、これら主題のバランスが名作の所以であろう。一方、
漱石、鴎外にしても、他の日本の小説の多くは主としてC問題が主題となっていることが多い。社会悪を糾弾しているように見えても結局は「自分の生き方」に収斂していく。これは例えば、
明治維新という革命が市民革命ではなく日本の
市民社会が市民が勝ち取ったものではないから
市民社会の危機への認識が乏しいせいではないか。貧困問題についても青木が書いているように、「一体、
漱石の小説の主人公達はいったい何をどうやってメシを食っているのか」という点に行き着いてしまう。そう思いながら「
レ・ミゼラブル」の終盤を読み進んでいる。
岩波文庫読書予定(10月残り1000ページ)
レ・ミゼラブル4(300P)
かもめ(100P)
お伽草紙・新釈諸国噺(200P)
牝猫(200P)
有閑階級の理論(300P)