El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

すべて真夜中の恋人たち Audible

川上未映子ワールドに没入

しばらく時間がかかったが、川上未映子「すべて真夜中の恋人たち」をAudibleで完聴した。いやあ・・いい。

女性にかぎらず、人間の生きづらさを正面から描いて、なおかつ日常の中に救いもある。そんな人生の本質って、理屈っぽい哲学書では全然心にひびかないのに、川上未映子の文章だと、すーっと納得させられてしまう。

独善的な友達・聖(ひじり)もなかなかいいし、他の登場人物もいかにも自分の周りにいそうな錯覚にとらわれる。

それに文字で読むよりもスピードが制限されるAudibleに本当にぴったり。時間の経過がゆっくりして小説世界とシンクロできる。

せっかちな人にAudibleはおすすめ!

暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ

けっこう読み応えあり!そして原爆はヒロシマに!

宇品とは今の広島港のことですね。太平洋戦争当時、海軍は呉にありましたが、陸軍はどこにあった?日本中から集められた陸軍の兵隊さんは広島港(当時は宇品港)にあった陸軍運輸部の港から、大陸へ、東南アジアへ、そして南方の島々へ、それに多くはどこにも到達できずに途中で輸送船ごと沈められてしまいました。

この本は、そんな宇品の陸軍運輸部の秘められた歴史を解き明かします。ちょうど半分あたりまでは、田尻昌次中将(陸軍船舶司令官)の自伝をもとに、それまで戦時の副次的なものだった船舶による運輸を陸軍における重要な役割としてほぼ一から作り上げていく坂の上の雲的な世界。

真ん中で暗転、陸軍の内部抗争(皇道派 VS 統制派)から、田尻中将の罷免、そして無謀な戦争へ。後半は、あの戦争がいかに船舶輸送を軽視した状態で始められ進められ破綻していったのか。まあ、あの戦争を扱った他の本でも負け始めてからの話は同じように理解できないくらいダメダメな陸軍首脳の話はウンザリしますが、そこは同じです。そのダメダメのために貴重な輸送船がアホみたいに沈められる・・・そこには兵隊だけでなく徴用された船員も多数犠牲になったりもしています。最期は特攻船、そして原爆。

しかし、資源のない島国日本が陸軍主導でなんであんな戦争やっちゃったかなあ?やっぱり日露戦争でギリギリ勝ってしまったという、ギャンブル依存症の入り口みたいなことが良くなかった・・・。

それにしても、史料の掘り起こしといい、ドライなのにエモーショナルなところもある文章といい、力作です。

原爆の直撃を免れた宇品の運輸部が被害者救済に邁進した陰には、関東大震災で同様な経験をしていた最後の司令官佐伯の活躍があった、というあたりも泣かせます。原爆落とした側の映画↓も見たばかりだったこともあり。

マゼラン船団 世界一周500年目の真実

内容は「フィリピン史からみた大航海時代」が正しい

セールス目的で「マゼラン」をタイトルに入れたのかな。実際はヨーロッパの大航海時代におけるフィリピンの歴史。ポルトガルとスペインによる大航海時代前半では、ポルトガルが東回りでアフリカ→インド→東南アジアと進出し、スペインは西回りでアメリカ大陸→太平洋→東南アジア。で、マゼランは南アメリカ最南端のマゼラン海峡を通過しフィリピンに到達しフィリピンはスペインの植民地になる。まあ、その後、フェリペ2世の名前からフィリピンと呼ばれるようになったわけだが。

しかし、そこには、すでに中国人もたくさんいたわけで、「領土」とか「植民地」という概念があったかなかったかの違い?最終的に「領土」「植民地」などという身勝手なコンセプトをもつ欧米人が世界制覇してしまったために、その果ての今がある・・というのがよくわかる。結局、世界史とは勝者の理屈でしかない。

世界で一番先に世界一周したのはマレー系の「エンリケ」だという話がおもしろい。マゼランが世界一周以前に、東回りでマレーに来た時に奴隷として買ったエンリケというマレー人が通訳としてマゼランの世界一周航海に同乗して西回りでフィリピンへ。それで世界一周したことになる。マゼラン自身もだが多くのスペイン人がフィリピンで死んでいる。

もうひとつ、メキシコのアカプルコとマニラの間をガレオン船で結ぶガレオン貿易の知識も新しかった。伊達政宗ー支倉常長はそこへの参入を目指したのか。知らないことはまだまだ多い。

だいぶ前に「クック太平洋探検(岩波文庫全6巻)」を読んでいて・・・ちょっとゴチャゴチャになっていた。クックはだいぶ後の話。

 

ジジイの片づけ

じいさんの断捨離・終活本があってもいいじゃないか・・・

女性の断捨離が人生の半ばで先を見据えてであるのに対して、男性の断捨離はどちらかというと終活めいてくる。画家・イラストレーターで文章も書く沢野ひとし氏(本の雑誌のカットなどでおなじみ)は80歳くらいなので、まあ終活本といってもいい。

男の終活はとにかく「片づけ」なんだなあ。毎週、引き出しひとつ、本棚の一区画、片づけていく。そして最後には何もなくなるわけ。

私自身も、冬から春に衣替えをしたが、60代後半になって着るものが単純化してきて、壮年期のものはどんどん捨てて行かなくてはならない。スーツにネクタイにカッターシャツ、このあたりはもう礼服だけ。年1,2回の同窓会くらいはそのたびに新調するくらいでちょうどいい。

そんなことを考えさせてくれた。

ブックガイド(123)ー60歳すぎて臨床にもどる!ー

https://uuw.tokyo/book-guide/

気楽に読める一般向けの本で、アンダーライティングに役立つ最新知識をゲットしよう。そんなコンセプトのブックガイドです。第123回目のテーマは「医師の転職」。保険業界に働く医師は臨床の現場を離れて、あるいは逃れて来たというパターンが多いと思いますが、さていざ定年が近くなってくると、定年のそのあとは?と考えたときに「臨床にもどる」という選択肢も当然あるわけです。

精神科医で「こころの問題」でマスコミに登場することが多かった香山リカさん。立教大学の教授になっていたので、もう医者はやらないんだろうなあと思っていたら大間違い。ここ数年お見かけしないと思っていたら、180度の方向転換して精神科医にもどる・・・というよりもさらに90度くらい転換して、なんと北海道で総合診療医を始めているらしいんです。

その顛末、それに自身が医者になったころの思い出話などをからめて一冊の本にしました。それがこの本「61歳で大学教授やめて、北海道で『へき地のお医者さん』はじめました」。

北海道勇払郡むかわ町という"へき地"で町立診療所の医師をやっているんですね。なぜそういう選択をしたのか、なぜ北海道のへき地なのか、それになぜ60歳なのか・・・そのすべてが本書で明かされます。きっかけは、誰にもある、今ここではないどこかで、今と違う何かを・・・という部分ももちろんあるようです―いわゆる「中年の危機」。香山リカさんはそんな年ごろにおいて、いくつかのきっかけ(母の死や、アフガニスタンでの中村哲先生の死)から「私だけのうのうと生きている」との気持ちに。さらにコロナもあってじわじわと臨床への回帰心が芽生え始めます。

体を鍛えたり、失効していた運転免許を取り直したり(へき地には車が必須)、そして何よりもアップデートした医療知識を得るために母校(東京医大)での研修を受けたり。教授業務で多忙な中にそうした新たな挑戦のための準備を織り交ぜて、少しずつ少しずつ準備を整えて行きます。またなぜ北海道のへき地なのかという話では、その地で見つかった恐竜の化石の話と理系好きの高校生だった自分の過去がシンクロして、そのころから閉じ込めていた熱い思いを再び発見するにいたります。

そしてついに北海道に赴任し、東京との二拠点生活をはじめた香山さん。好きなことに没頭しながら、町民たちとも濃密にかかわる日々の始まり始まり-というところまでの話が描かれます。香山さんいわく「来年の自分がどうなるか、自分でもわからない。そんな楽しくてぜいたくなことがあるだろうか」という言葉にもすがすがしいものが・・・・。

と言いながら・・・これを書いている査定職人ホンタナも一年前に65歳の定年をむかえました。そして一念発起し、いまは老健施設長として臨床の世界にふたたび足を突っ込んでいます―ちょっとだけすがすがしい!?

そしたら長年続けてきたブックレビューが仕事にも役に立つんですね。それは本当にびっくりです。そういった臨床ネタも含めてまだまだブックガイド続けていきますよ!(元査定職人 ホンタナ Dr. Fontana 2024年4月)

正義の弧(上・下)

ハリー・ボッシュ シリーズ最新刊に歳月を感じる

姪の結婚式で石垣島へ。その旅路に読み始め没頭

「BOSCH:ボッシュ」シリーズは第一作「ナイト・ホークス」原著刊行が1992年1月、コナリー35歳、ボッシュは1950年生まれの設定で当時40代前半、訳者の古沢氏は34歳、読者の私は35歳。つまり、作者も訳者も読者もほぼ同年代で少し年上のボッシュの活躍を追いかけてきたわけだ。ボッシュも70代、膝は手術をしたようだし、この巻では白血病であることもわかった。ボッシュの30年をこの3年でずっと読み続けてきたことになる。ついに未読のボッシュはなくなってしまった。

ここ最近は、DNAを中心とした新しい捜査方法で古い未解決事件が解決するというパターンが多いが、そんなケースでも結局はボッシュの(そしてバラードの)勘や正義感なしでは物語は動いていかないわけで、結局は「人」なんだなと、あらためて思う。

 

テスカトリポカ

ナルコス+アステカ+臓器売買

メキシコ麻薬戦争+世界のナルコス(=ドラッグ・マーケット)、そこに関わる日本人、そんな群像をフィクションで読む。フィクションながら、いやフィクションだからこそ、以前読んだドキュメンタリー「ナルコスの戦後史」↓をよりリアルに感じられる。

そこに、ラテンアメリカ特有の征服民・被征服民という構造がからんで、アステカの怨念が混乱する社会を作り出していく。実際問題として、人種間の混淆がすすむラテンアメリカにおける人種問題は、日本人には想像がつかない。

と、聴いていたら舞台は日本へ。メキシコを逃れて流れ着いた女性が産んだ混血のコシモとメキシコ麻薬戦争で敗北を喫して脱出してきた男が日本で出会う。その出会いには東南アジアにおける臓器売買というブラックビジネスが関わっている。

臓器売買における「心臓」と、アステカのいけにえの「心臓」を捧げるところがシンクロする。と、まあ、荒唐無稽にはなっていくものの、裏社会のビジネス繁栄のうらに滅亡したアステカの呪いを重ね合わせてつきすすむクライム・エンターテインメント。

南米の征服された民族のうらみつらみが現代社会に犯罪として吹き出ている、というアイデアは初めてきいたが、そういう説があるのかないのか・・・・。(直木賞受賞作)