El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

生命科学的思考

セラノス事件的うさん臭さ

ジーンクエストという民間遺伝子解析サービスを起業した京都大学農学部を10年前に卒業した女性が著者。遺伝子や進化論的考え方を日々の生き方に適用して「ビジネスと人生の見え方が一変する」なんて話なのだが、「遺伝子に操られて性犯罪を引き起こす」というトンデモな話と似たり寄ったり。

人間の社会行動と遺伝や進化の関りは、このように誤用され、ときには優性思想のように悪用されてきたわけで、この本もまたそのレベルに逆もどりしているのではないか。

意図してなのか無知ゆえなのかわからないが、進化と進歩の誤った同一視から生まれた社会ダーウィニズムを焼き直して、口当たりよくビジネス論や人生論に落とし込んでおり、うさん臭さいと感じる。

理系女子の起業家でうさん臭さといいエリザベス・ホームズの事件を想起させる。

進化と人間行動=「進化人間行動学」についてはきちんと専門の学者が書いた教科書を読むべき。まず社会ダーウィニズムを冷静に批判するところから始まるべき。

 

空白を満たしなさい

分人主義小説の真骨頂

Audibleで聴きました(上下で17時間)。聴いている途中で、NHKでドラマ化され放映されたがやはり原作のほうが深い。平野啓一郎が唱道する「分人主義」がもっとも直截に表現された小説だと思う。(分人主義については下の動画「私とは何か」を視てほしい。

「自分自身を個人(individual)と考え、その個人が関わる相手や社会にあわせてその場ごとに、かりそめの仮面で対応している」という考え方を否定し、「自分自身というものは、相手や社会とのかかわりあいの中で発生する相手ごとの相互関係(これが分人:dividual)の集合体である」と考えるのが分人主義。

わかりやすそうで、わかりにくいのだが、小説を読むとよくわかる。分人の集合体=ネットワークが「私」であると考えれば、たまさかその中の一部の分人がうまくいかなくても悲観せず、他の分人の比率を高めることでやり過ごすことができる。

愛する人や子供と一緒に過ごす分人、仕事に追われ自殺を考えるほど追い詰められた分人、どんな分人もその人自体を支配してしまわないようにバランスコントロールしていく、そういう生き方指南と言える。

小説としての構成力はさすが!

 

youtu.be

自分がおじいさんになるということ

2040年問題に向けて粛々と歳を重ねる

10年先行老人、勢古浩爾氏の最新老後エッセー集。この手の定年本、定年後本、老後本は買わないと思っていてもつい油断すると買ってしまう。たいした内容でもないのだが、同時代的共感があるため「そうだよね・・・」なんて思いながらついつい読んでしまう。

74歳になった団塊世代。脳梗塞も患って禁煙してる。書かれていることもだいぶ肩の力が抜けているような。個々の映画や本の情報で、お、これはいいかもというのはないではないが、それにしても買ってしまうと、読後の処分が面倒くさい。電子本いや、図書館本で充分だった(この手の本は図書館予約が殺到するんだよね。高齢無職者のオアシス、図書館)。読むたびに同じ反省していることを考えなくちゃ。

これだけではレビューにならないので少しデータを・・・

横軸が西暦年、縦軸が年ごとの死亡者数(年代ごとに色分けしている)。団塊世代の死亡のピークは2040年頃(いわゆる2040年問題)。年間死亡者数は10年ほど前に太平洋戦争期を超え、今は毎年3万人以上増加している。日本史上最大の高齢化と死亡の波がひたひたと押し寄せている。これが団塊老化。できるだけスムーズに社会資本をむだに消費することなく淡々と・・・というのが理想。(図は日本医事新報社 jmedムック67 長尾和宏「医師にとっての『地域包括ケア』疑問・トラブル解決Q&A60」2ページ)

 

ロボット手術と前立腺がん・ロボット手術と子宮がん

術者としては経験できなかったロボット支援手術の今をまとめておきたい

2冊とも祥伝社新書でほぼ同じ体裁、著者の二人も東京医大で同僚だったらしく、おそらくこのあたりが日本のロボット支援手術=ダ・ヴィンチ手術のパイオニアと言えるのだろう。胸腔鏡手術・腹腔鏡手術は手術臓器そのものよりもそこにいたるアプローチが過大になる胆嚢摘出や気胸から始まりそこまでは私も経験がある。

その先に進んだ時、特に視野のよくない骨盤内臓器の手術においても胸腔鏡手術強みを発揮するはずだが、骨盤内は操作のために空間を十分にとれないという現実があった。それを克服したのがロボット支援手術。いわば、脳外科や心臓外科でやる拡大鏡下手術と胸腔鏡手術・腹腔鏡手術を組み合わせ、さらに捜査そのものを遠隔コンソールから行う。とにかくよく見える、細かい操作ができる。

現在12の手術においてロボット支援手術が保険収載されている。しかし、ダ・ヴィンチ1台数億円に数千万円の保守費用がかかる。さらに保険点数が非ロボットの胸腔鏡手術・腹腔鏡手術と同じに設定されているため、ダ・ヴィンチは症例数の多い大学病院規模の病院にしか導入されず、それがまた技術の伝播を妨げ一部施設による寡占化が進んでいるようだ。

日本ロボット外科学会のwebsiteによれば「Hinotori」という国産手術支援ロボットができているようで期待したい。

 

死にかた論

もっと科学的になってほしい。

発達した脳が「自己」というものを持ったために「死」が「自己の喪失」となってしまった。「自己」が「自己の喪失」を理解できない、納得できない、それはまあ当たり前のこと。「自己の喪失」=「死」をぼんやりとでも納得するための方便が宗教であった(と評者は思う)。

しかし、科学の発達で理不尽な「死」(天然痘や結核などなど)が激減したため、「死」に到る前に、肉体は生きている状態で「自己を喪失」する(認知症などなど)事態になってきたのが現在。

そうした「死の変質」の中で、本書のように旧来の「死生観」を持ち出してあれこれ言ってもぴんとこないです。

有性生殖というメカニズムによって多様に進化してきた結果として今の人間があり、その有性生殖というメカニズムそのものが死を宿命としていることが科学的に解明されてきたのは、もはや常識。

であれば、科学的に納得して従容として死んでいけばいいんじゃないですか、残った世代にコストや手間をかけずに。・・・と、職業的にどうしてもニヒリスティックな見方になるが、もっと死がリアルに近づいてきたら変わっていくのかしら。いや、変わりたくない。

ある男

過去に翻弄された大人たち、未来を生きようとする子供たち 

「マチネの終わりに」「ある男」「本心」と「分人主義後期三部作」らしい。

「マチネの終わりに」が良かったので期待したが、他人どうしが戸籍を交換して生きるというややエキセントリックなやり方がメインにあるためどうしても自分の方に引き寄せられないままエンディングまで行ってしまった。

読書家で文学的な才能がありそうな長男(悠人)が救いとなり、全体としては「過去に翻弄された大人たち、未来を生きようとする子供たち」ということになるのだが、全体として分人主義がどう関わってくるのかクリアでない。

読み込みがたりないのだろうか?アイデンティティに拘るがゆえに、負のアイデンティティから抜け出そうとする人々。うーん、まだ今のところよくまとまらない。

20240302追記 映画化されたものを観た。

古寺行こう(4)興福寺 行ってみた

国宝館のガラスケース無しの距離感は近い!

毎月のように奈良に行っているので当然、興福寺周辺を歩いている。国宝館は面積比の国宝の数が多い、つまり国宝密度がやたら高い。今回、久しぶりに国宝館を訪問したが、以前あったガラスケースはほとんどなくなっており、ほとんどの国宝仏像とは直接対面できる。

特に十大弟子と八部衆が左右にならんだ部屋はあまりに見どころの密度が高くて何度も行ったり来たりすることになる。他所で疲れる前にまずは奈良駅に来たら興福寺の国宝館に行くのが正解。

帰り際に修学旅行バスが2台着、密度が高いので館内で遭遇したら大変だったろう。今が見ごろとも言える。

五重塔・東金堂・北円堂・南円堂・三重塔・中金堂とあるが常時開扉は国宝館と東金堂だけ。それ以外のいわゆる非公開秘仏をみるには公開日を丹念にチェックする必要がある。

猿沢池をめぐり中院町まで南下し、日本酒バーchuinで2合ほど飲んで帰るのが奈良のルーティン。