El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

医療探偵「総合診療医」

 結局は知識量

問診の基本、診察の基本はとうぜんあるとして、プロブレム・リストを正しくつくり、候補疾患リストを正しくつくり、候補疾患の蓋然性・重篤性・緊急性を意識しながら、確定診断への検査を実施し、正しい診断にたどり着く。そして治療につなげる。

文章にすると簡単だが、この流れの過程で、途中経過から再び問診・診察にもどったり、リストを修正したりと、行きつ戻りつしながらだんだん正解に近づいていく。やはりそれには該博な知識が必要。

正解にたどり着かずに、的外れな病名つけられる。例えば、高齢であれば「認知症」で片付けられる。あるいはあれよあれよという間に死んでしまう。そんなことはザラにあるのだろう。

こういう本に出てくるのは「うまくいった例」で、「うまくいかなかった例」は書かれないし、医師の記憶からも消えていく。そのバイアスも認識しながら読むべき。世に言うスーパー・ドクターは診断がついていて治療が難しい疾患を治療する手技が優れているということであり、いわばテクニシャンにすぎない。劇的な治療成功の裏には正しい診断もなされないまま死亡にいたる例も多い。

この本でとりあげられている診断成功例は、① (認知症として片付けられかねなかった)クロイツフェルト・ヤコブ病、② (認知症として片付けられかねなかった)橋本脳症、③ 結局確定診断がついたころには治ってしまっていたデング熱。医療探偵「総合診療医」が役に立てたのは②くらいか。

難病・奇病・希少疾患はこれまで診断もつかず亡くなっていたのでしょうが、検査法(主に染色体・遺伝子検査、免疫学的検査)の発達で、早期診断つけて治療につなげられれば治癒あるいは延命できるものが増えてきたのも事実。ただし、主治医が「病名」さえ知らなければそこでアウト。

医学知識のダブリング・タイムは数カ月なのでキャッチアップしつつ、古典的な疾患にも備えておく、それにはやはり電話帳より厚いハリソン内科学あたりを愛読書として穴が開くほど読む、という態度が必要ですね。すべての医師に。

後半は著者のお薦めの全国の総合診療医療機関のリストと総合診療の専門医制度の話。十分な知識と総合診療マインドを持っているかどうかは医療機関というよりも医師個人レベルの問題のような気がする。リストに挙がっている医療機関といえど核となる医師が異動でいなくなればどうなるかわからない。・・そんなことも知っておいたほうがいい。

わたしが診断医としてすぐに頭に浮かぶのはアメリカの医療ドラマの主人公「Dr. House」(全8シーズン、177話)。このドラマをメモ取りながら見ている。ご都合主義な部分もあるが、勉強になります。

 

 Dr. HOUSE コンプリート ブルーレイセット。全8シーズン。39Disc、130時間。一日一エピソードで8カ月かかります。初回限定版ではなく通常版が6-7000円と格安。

 

ブックガイド(90)―ストロング缶に手を伸ばす、あなたはもう依存症!?―

――ストロング缶に手を伸ばす、あなたはもう依存症!?――

だらしない夫じゃなくて依存症でした

だらしない夫じゃなくて依存症でした

 

 気楽に読める一般向けの本で、アンダーライティングに役立つ最新知識をゲットしよう。そんなコンセプトでブックガイドしています、査定歴23年の自称査定職人ドクター・ホンタナ(ペンネーム)です。今回のテーマは「アルコール依存症」。アンダーライティングからは少し離れますが、飲酒への依存をわれわれ自身の健康問題として考えさせられる一冊を見つけました。

年度末ですから、例年でしたら歓送迎会や花見と宴会のシーズンですが、今年はコロナで自粛、大勢で飲酒する機会は減ってしまいました。ところが、テレワーク+ホームステイのせいなのか缶やビンのゴミ出し日の朝、毎回のように大量の缶酎ハイや缶ビールの空き缶が詰まった袋が捨てられているのを見ることが増えました。家飲みの飲酒量は増えているようです。

「だらしない夫 じゃなくて 依存症でした」はマンガです。ところが、そんな空き缶だらけのゴミ袋の絵が冒頭に出てくるリアリティ! マンガとは言え厚労省の依存症啓発事業の中で描かれ始めたマンガだけに随所に圧倒的リアリティがあり、それに引き込まれて一気に最後まで読んでしまいました。

薬物依存やギャンブル依存の既往者も登場人物としてうまく取り入れながらアルコール依存の難しさ、そしてそれに、周囲がそして当人がどう立ち向かっていくべきなのかがよくわかります。そこには作者の三森さんの経験が盛り込まれており、そのあたりも最終章(番外編)におさめられている。それゆえのリアリティであり、これがアルコール依存の現実であると二段仕掛けで腑に落ちるしかけになっています。私も振り返って10年前、20年前の自分の飲酒状況を思い出してみるとなんだか依存症ぎりぎりのところにいたこともあったかもしれないと思い出してみたりしました。

マンガを通して、依存症が脳の病気であるという認識をまず持ちます。いわゆる脳の報酬系の回路の話もきちんと出てきます。そして、保健所など適切な機関への相談の仕方、これは心理的ハードルをどう乗り越えるかということですね。アノニマスなどの依存症者の自助グループとはどんなところなのかもわかります。スリップ(つい飲んでしまった!)への対応などなど・・・これらは文章で書かれたらこれほどすっきり頭にはいってこないと思いますが、マンガは偉大です、まるで自分が主人公、あるいはその妻であるかのような臨場感です。

ストロング(9%など高アルコール)系飲料にはまっている、そこのあなた!、そしてそんなパートナーを持つあなた! 取り返しがつかなくなる(失職・離婚・肝硬変・自殺などなど)前にこの本をマンガだとバカにせず読んでみることをおすすめします。本人ではなくパートナーが読んでも大きな助けになると思います。

依存症からの回復への道しるべというだけではなく、そもそも依存とは「心の穴」を埋める行為であることまで描かれているのはすばらしいです。そうなると、ゲーム依存やスマホ依存の原因も物質的には満たされた現代人が生きがいを感じにくい=心に穴を持つ、というところまでつながっていきそうです。「退屈な毎日をどうしよう!?」ってことですね。

それにしても、アルコール度数が高くて安価なストロング系飲料がどれだけ若者をむしばんでいるのか怖いものがあります。夜の民放テレビのCMはそんなアルコール飲料ばかり、それゆえにマスコミもこの問題をとりあげにくいというところもあるわけでしょうね・・・どうなっていくんだこの国は!

最後にお知らせです。このブックガイドはこれまで月2回配信していましたが、新年度4月からは毎月上旬の月1回になります。よろしくお願いします。(査定職人 ホンタナ Dr. Fontana 2021年3月)。

 

余生と厭世

 老後は経験しないとわからない

余生と厭世

余生と厭世

 

 沈鬱な詩のような作品。人生に休止符を想定できるのか?という観点。終止符は死であるとして、休止符は引退、隠居?引退後の人生が長いのであれば、休止符を想定して、それが近づいたぎりぎりで先送りする。その繰り返しが余生であるのかも。 著者はおそらくまだ30代、老後と死は経験しなければわからないことが多い。

あるいは、伊能忠敬のように生きるのもありか。いずれにしても、安定した生活設計があってのこと。ロマンチックな話も、もちろん経済的余裕が前提である。

ドクター・ホンタナの薬剤師の本棚(9)

アフター・コロナとZ世代

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薬剤師の職場にZ世代が登場

薬剤師のみなさん、こんにちは! ドクター・ホンタナの続・薬剤師の本棚、今回のテーマは「Z世代」。「Z世代って何?」「薬剤師とどんな関係が?」と思うかもしれませんね。「Z世代」とはゆとり世代(1987~1995生まれ)の次の世代、つまり1996年以後に生まれた世代です。最近、よく耳にするようになってきました。

Z世代は2021年現在、25歳くらいから下の世代です。ということはコロナ禍の中で薬学部を卒業して薬剤師になるのがZ世代の先頭集団なのです。あなたの職場の新卒の新人、それがZ世代です。

Z世代の基礎知識

Z世代の語源は、アメリカで「冷戦期のX世代」「冷戦崩壊~ネット時代のY世代」に続く世代ということからZ世代と呼ぶらしいです。Z世代のことを書いた本はまだ少ないのですがその中から今回2冊をとりあげてみました。まずZ世代について網羅的に教えくれるのが1冊目、原田曜平さんの本でタイトルもズバリ「Z世代 」です。データ量やグラフが豊富でZ世代の基礎知識を得るのにはうってつけです。

スマホ・ネイティブ、SNSネイティブ・・・Z世代は生まれた時からスマホSNSが身近だった世代です。SNSがあるために一度つながりができるとなかなかそれを断ち切れないことや、「いいね」的な肯定欲求が強いことなど一通りのことはわかります。Z世代はテレビ離れ世代で、YouTubeTikTokの世代です。そもそも少子化で人数が少なく企業が消費者としてのマーケッティングを怠ってきた世代なのですね。

この本はそんなZ世代にモノを売るにはどうすればよいかというマーケティング目線で書かれています。一方でこの本は、そのマーケティング志向ゆえに、何かと上から目線が感じられ昔ながらの世代論感覚でZ世代を解説しているように思えます。おそらくZ世代自身にはオヤジ臭くてこの本は受け入れられにくいかな。

Z世代を疑似体験

そこで、お薦めなのが今日の2冊目、「若者たちのニューノーマル Z世代、コロナ禍を生きる 」です。著者の牛窪恵さんはNHKのテレビ番組「所さん! 大変ですよ」などでお見かけするマーケティング・ライター。表紙に「物語とキーワードで読み解く withコロナの消費潮流」とあるのですが、読んでみると消費潮流分析という枠を越えてZ世代とアフター・コロナの時代に向けた希望を感じさせてくれる不思議な魅力を持った本なのです。

本の構成は、前半が小説風フィクションで49歳の父親と21歳の息子が肉体だけ入れ替わる(「転校生」や「君の名は。」でおなじみ手法)という設定です。49歳の父親が心はそのまま49歳でZ世代の息子になってしまい、Z世代のコロナ禍の中での日常を体験するのです。父親世代とZ世代の両方の目線で世の中を見るという疑似体験ができるしかけになっており、これがなかなかわかりやすい。Z世代はスマホ・ネイティブ、SNSネイティブという、いわばデジタル革命の申し子世代であり、それ以前の世代の延長線上ではうまく捉えきれないところがあるのが、このフィクション部分を読むことで私もZ世代の感覚を疑似体験できました。私の次男がZ世代なのですが「なるほど、あの時彼が言っていたのはそういうことだったのか」と気づかされることがたくさんありました。

ニューノーマルとZ世代

取材時期が2020年3月頃だったらしく、この本はまさにコロナ禍の中でのZ世代へのインタビューがベースになっているのでコロナ禍に対する若者たちの本音も知ることができます。目から鱗だったのは、インタビューを通して著者が感じた最大のポイント「いま社会で求められていることは、まさにZ世代が、コロナ前から求めてきたことだ!」ということです。

そのことがわかる印象的な部分を引用します。

―――(309-310ページから引用)
サステナブルな視点で地元や自然、地球環境に配慮する。富よりも「人間らしい生き方」を追い求め、自分や家族、周りの友人・知人の健康と幸せを願う。あるいは、経過より結果を意識しながら生き、働く。業務や健康管理を数値で「見える化」し、中長期的なコスパを実現しようとする。動画やSNS、オンラインを効率的に使いこなし、いつでもどこでも誰とでも、既存の枠を超えてグローバルにつながれる環境を創りあげる・・・・・。

私たち上の世代も含めて、おそらくほとんどの人が「いつか、そうした社会を実現すべきだ」と、頭のどこかで感じていたはずです。また、コロナ禍ですっかり一般化した、テレワークや副業解禁、人材シェアリング、ジョブ型雇用なども、以前から「本腰を入れて、取り組まないと」と、繰り返し求められてきたことでした。(中略)にもかかわらず、私も含め大人たちは「まだもう少し、先のこと」だと思っていました。

Z世代が、これほど身近で「もう時代は変わったんです」「僕たちが人間らしい生き方を標榜するのは、決して『小さくまとまっているから』でも、『欲がなさすぎるから』でもないんですよ」と、ニューノーマルな価値観を発信し続けていたにもかかわらず、です。

(引用終わり)―――

 

まとめ:大災厄の後に大発展あり

感染爆発に医療崩壊・・早くコロナ以前の社会に戻りたいと思っている人も多いと思います。しかしコロナ直前の日本って少子高齢化や巨額の財政赤字で煮詰まっていたことを思い出してください。そんな社会の閉塞感を一番感じていたのはそんな社会にこれから放り出されるZ世代だったのではないでしょうか。

コロナ対策ということで、テレワークやオンライン授業、企業や人の地方移転といった多くの変化がコロナ以前では考えられないスピードで進行しています。そして社会はもうもとには戻らずこの変化の行きつく先が新しい社会の標準(ニューノーマル)になっていく、そんな未来図が現実的になってきました。そしてZ世代のライフスタイルや考え方はもともとそのニューノーマルに近いものなのです。

さらに巨視的に見れば、Z世代に限らず日本社会にとってもコロナ禍を克服するために起きている社会の変化そのものが、煮詰まった日本社会を打開し次の時代を迎えるためのきっかけになる――そう考えてみれば、いくらか明るい希望が持てるのではないでしょうか。

中世ヨーロッパのペスト大流行ではヨーロッパで2000万人から3000万人が、全世界でおよそ8000万人から1億人が死亡しました。全人口の半分以上が死亡したことになるわけで大災厄以外のなにものでもありません。しかし、この破壊こそが次の新しい時代の地ならしとして必要だったと考える歴史家は多いのです。人口の構成と分布を変え、教会のような権威や既得権益を失墜させ、古い仕組みが機能しないことをさらけ出しました。

コロナ禍は現代のペストなのかもしれません。コロナ禍が終わって、アフター・コロナの時代になったとき、そこに現れるニューノーマルの担い手はZ世代なのかもしれません。Z世代薬剤師にも大いに期待しましょう。

それでは、また次回。

ザリガニの鳴くところ

 良き物語

ザリガニの鳴くところ

ザリガニの鳴くところ

 

ウォーキングの間、Audibleで聴きました。約20時間、一カ月以上。朗読もなかなかよかった。Audibleにふさわしい。

よくできた物語だと思う。湿地に置き去りにされた少女の成長譚、湿地の自然描写、動物生態描写、男女の愛憎物語、殺人と法廷と意外な結末、これらを全部盛り込んで破綻しないまま最後まで引っ張る著者の筆力とおそらくは編集者の力量か。

驚くほどしっかりした部分と驚きほどのはにかみと、そして男女関係においては驚くほどの俗っぽさ(親に会わせろや結婚願望など)、それらが混合している不安定さもまた主人公の持ち味なのだろう。

物語りに入り込んでいる間はまるで主人公になったかのように楽しめる。他の読者もそう思うのだろう、ゆえに、自分の予想と違う展開に対しては反発する声も多いが、それも出来の良いフィクションの宿命か。

 

免疫の守護者 制御性T細胞とはなにか

新書でTレグのすべてがわかる

ハイレグとT-バックでTレグではありません。

TレグとはRegulatory T cell(制御性T細胞)。Tレグ研究の第一人者でノーベル賞候補ともいわれる坂口志文先生へインタビューや論文をサイエンスライターの塚崎さんがまとめ、1冊の新書でTレグについてその出発点から今研究されている最先端までがクリアにわかる。二人三脚が功を奏して、免疫のイロハから始めて最先端のTレグまで理解することができ、さらにTレグを応用した未来の医療まで、なんだかあっという間に読んでしまう。

免疫を担うリンパ球にはB cellとT cell があるがその先の分類はなかなか難しい、ヘルパーT細胞やサプレッサー(抑制性)T細胞なんて聞いたことがあるのでは。ところがサプレッサーT細胞は存在が否定されていた(この本を読んで初めて知った、不勉強)。

T細胞は胸腺で分化する。感染防御免疫に対応するヘルパーT細胞。しかし、免疫がやりすぎて自分自身の組織を攻撃したらこんどは自己免疫疾患が起こる。自分自身を攻撃するようなT細胞の大部分は生直後に胸腺で排除されるのだが、さまざまな原因で自分自身を攻撃する。そこで、自己への攻撃を緩和するよう調節するのが制御性T細胞(Tレグ。むずかしいが「自己」と「非自己」はシロかクロかではなく連続的なものなのだ。その連続的な部分をTレグが分子的メカニズムを駆使して実現させている。

だからTレグのさじ加減が狂えばがんに対する免疫がうまく働かなかたり、自己免疫疾患が起こったりする。そのメカニズムを坂口先生が海外の研究者と競いながら少しずつ、少しずつ明らかにしていくプロセスがなかなか読ませる。サプレッサーT細胞の凋落によりTレグもなかなか世間に認められない時代がなど、苦労もされたんですね。まあ、そこらの詳しいところは本書を読んでください。

Tレグを強化すれば自己免疫疾患は改善する。Tレグを抑えればがん免疫を強化する。その塩梅が難しいということ。逆にそれを自己免疫疾患の治療やがんの免疫療法に応用できる可能性もあり、その分野で多くの研究が行われている。後半の数章はそうしたTレグの未来像が語られる。自己免疫疾患の原因は標的臓器の交差抗原性と長くいわれてきたがTレグの表面タンパクの遺伝子多型が関連しているかも・・・などという話はおもしろい。

最初は固いタイトルだなと思って読み始めたが、するする頭に入って、Tレグ・・いただきました。

ブックガイド(89)―エビデンスください!―

エビデンスください!―

 気楽に読める一般向けの本で、アンダーライティングに役立つ最新知識をゲットしよう。そんなコンセプトでブックガイドしています、査定歴23年の自称査定職人ドクター・ホンタナ(ペンネーム)です。今回のテーマは「意思決定のためのランダム化比較試験」(RCT=Randamized Control Test)。

ある病気を治療するのに治療法Aと治療法Bのどちらがより有効かという意思決定をする場合に、その病気の患者集団をランダムにAで治療するグループとBで治療するグループに分けて治療し、その結果からAとBどちらが有効であったか判断する、そんな手法をRCTと呼びます。まあ医学では当たり前のように使われています。しかしRCTの歴史はそれほど古くはなく、最近になっても常識と思われていたことがRCTで覆されることは多いのです。例えば膝の半月板の損傷において、関節鏡で本当に手術するグループと皮膚に傷だけつける偽手術のグループでRCTをしたところ症状の軽減に差はなかったという驚くべき結果も出ています。そうしたRCTの輝かしい成果をもとに Choosing Wisely(賢い選択)というムーブメントが起こりました(関連サイト参照)。

21世紀になって、そのRCTが医療に限らず社会のさまざまな分野における意思決定に使われるようになってきました。つまり社会のあらゆる意思決定の場面で、大きく何かを変える前に、小規模なRCTを実施してみてあたりをつけようというわけです。

これまで、政治にせよ企業活動にせよ意思決定は究極的にはボスの直感で決めることが多いですよね。これを「HiPPO(ヒッポ)=Highest Paid Person's Opinion(最も高い給料をもらっている人の意見(鶴の一声)」とよぶそうです。で、この鶴の一声、ご存じのように往々にして間違うんです。変化の激しい社会では、ボスが経験と勘に頼って判断を下せば致命的な、目的とは真逆の結果をもたらしかねません。

本書にある失敗例では、放課後プログラム(学童保育のようなもの)・・アメリカでは放課後プログラムでは逆に悪い仲間とつるみやすくなり犯罪率が上昇しました。また、ユヌス氏がノーベル平和賞を受賞したマイクロ・クレジット(少額融資制度)も高利貸しの被害者を増やす結果に、衛生改善のために町中にトイレを増やしても汚いスポットを増やすだけ・・といった具合です。

「人間は、いい話・よくできたストーリーに弱い」けれど、現実はストーリー通りにすすまないのです。ボスが自分好みのストーリーに沿って理屈で考えたものが予想外の結果に終わってしまう。そこで二者択一、「やるかやらないか」「AかBか」の判断にRCTをやってみようというわけです。本書にはそうしたRCTの事例が網羅的に収録されています。最も多いのが政策です。教育・就労支援・犯罪制御・衛生改善など。国が限られた予算の中でAをやるかBをやるかというときには小規模のRCTであたりをつけることがいかに重要かよくわかります。

目下のところRCTを日常的に取り入れているのがインターネット関連業界です。データを取りやすいこともありネットはRCTであふれています。Amazonで値段が猫の目のように変わるのも価格変動RCTなんですよ。

一方で、政治でも企業の経営判断でも日本的な根回し+鶴の一声で大失敗という例も数々見てきました。特に従来型の大企業ではなかなかRCTをうまくつかいこなせていないんじゃないでしょうか。まだまだ演繹的なストーリー中心主義が幅をきかせています。

例えば、細かいことにコストかけてやったほうがいいのか、コストかけない大雑把なやりかたとどちらがいいのかなんて議論してもわからないことはRCTをやってみれべきなのです。アンダーライティングで例をあげるなら、「健康診断書の評価作業」でコストをかけて重箱の隅までチェックした方がいいのか、コストをかけないで特定項目だけ見た方がいいのか、まさにRCTをやってみたら簡単に答えがでそうです。

エミネンス(Eminence=鶴の一声)の時代から エビデンスの時代に。21世紀の意思決定にはRCTです。(査定職人ホンタナ Dr. Fontana 2021年3月)。

 関連サイト

Choosing Wisely