El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

カメラは、撮る人を写しているんだ。

禅問答になりがちな「写真とは何か」

実は、もっとぐっと写真に取り組もうとカメラを注文しているのだが・・・注文して一カ月たっても手に入らない。このあたりの事情は↓

そういうわけで、「丘サーファー」みたいに、写真を撮らずに写真を学ぶ、そんな状況が続いている。写真を撮るということはどういうことか、というテーマの本は、書店で写真・カメラのコーナーにいくと意外にたくさんある。

カメラの進歩、特にオートフォーカスの進歩で撮影者がしなくてはならないことは大きく変化している。技術は機械が補うので、何をどんな意図で撮るのかという部分こそが写真撮影のメインテーマになっているのだ。

確かに、子どもの写真でそれを撮っているであろう親の表情が見えてくるような写真がある。写真の中に、それを撮っている人の情念も記録されるわけだ。この本の表紙を飾る小橋めぐみさんは見てのとおり美しいのだが、この小橋さんを撮っている著者のワタナベアニさんの情念も見えてくるような気がする。

そんな写真をめざす、というくらいの理解で。