2025年の世界とは、民主主義が支配の道具になった世界
トッド流の世界分析がいちいち腑に落ちる。どうも日本も敗北する側にいるような気がするが・・・。
①民主主義がエリートによる支配の道具に
第二次世界大戦以後、自由民主主義が当たり前になった世の中を生きてきて、みな学歴レベルがあがり、昔で言えば少数エリートだった、政治や経済を動かす側の人間の比率が増えていく。昔なら少数エリートが少々自己利益の誘導みたいなことをやっても社会全体が繁栄しているからまあうまく回っていた。
ところが、エリートもどきが数十%になってくると彼らは自分たちの立場を守ることに血道をあげるようになり、民主主義なのに階級として固定化するようになる。政治であれば二世議員三世議員ばかりになり、官僚や学者もまた師弟に強力な教育をほどこしてエリートゾーンから脱落しないようにする。
そして、政治家や官僚はそうした見えない階級制が壊されないように政治を一見「民主的」に進めていく。マスコミもまた片棒を担ぐ。かくして、政治家・官僚・マスコミ・経済トップにとって都合のいい世界が民主的手続きで作られる。
それは、民主的と考えられている多くの国でおこっていて、民主諸国は次第にそうした民主主義が作り上げたエリート主義とそれに対抗するポピュリズムという政治構造になってきている。アメリカ、フランス、ドイツ、イギリス。
②価値を生み出さないくせに、価値をかっさらっていく職業の隆盛
そうした国でさかんに行われているのが公共財を売り払い、それを買いたたいて利益をあげようという動き。これが明治の藩閥政治のような露骨さではなく、民主主義の仮面をかぶせてわからないように進んでいる。
例えば、労働することよりも、労働者のマーケッティング(人材派遣)で利益をあげようとする人材会社(日本のCMは目に余る)。
例えば、地方税をあちこち移転させながら手数料で稼ぐことの片棒をかつぐふるさと納税(こちらのCMも目に余る)。まさに強欲資本主義が政治の力を利用して実労働者の上前をはね、その額が実労働者よりずいぶん大きいという事態。<読書中>