El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

プーチンの世界

いま、目の前で起こっているウクライナ危機理解には必須

1985年にゴルバチョフが書記長となって1989年にベルリンの壁崩壊、エリツィンによる混乱の1990年代にソ連が崩壊し、2000年にプーチンがロシア大統領に。以来20年以上にわたってロシアを支配するプーチン(1952年生69歳)。その出自と足取りを追う。2014年のウクライナ危機を含む二段組500ページの詳細なプーチン解剖。

第1部 工作員、現る

第1部は2013年12月の原書初版部分であり、プーチンの出自とロシアの大統領として権力を握るまで、そしてその握り方をプーチンの多面性(6つの顔)から分析する。

①プーチンとは何者なのか?
②ボリス・エリツィンと動乱時代
③~⑧プーチンの6つの顔 国家主羲者・歴史家・サバイバリスト・アウトサイダー・自由経済主義者・ケース・オフィサー(工作員)
⑨プーチンが支配するシステム

ゴルバチョフ時代とエリツィンの混乱時代を東ドイツ・ドレスデンでKGBの工作員として過ごし、いいタイミングでレニングラード(ペテルブルグ)に戻り、KGBの指令もあって市長の補佐から副市長へ。そこで身に付けた独特の資本主義観(インドのジュガールに近い)によりものごとの取りまとめ屋(ケース・オフィサー)の能力を買われクレムリンへ。エリツィンが裏取引で国有財産を払い下げたことでできた財閥(オリガルヒ)をコントロールし評価をあげたからなのか、ぎりぎりのところはわからないがなぜかエリツィンに選ばれて大統領補佐から2000年に大統領に。

KGBらしく弱みをつかんで、あるいは一緒になって非合法なことをやり、それを相手の弱みとしてつかむことでコントロールするのが基本の手法のように書かれているが、いつでもそういうわけでもなさそう。エリツィンも弱みをつかまれていたのか。

いかにも「ロシア的な国家愛」と「KGB的な人使いの手法」と「非欧米的なやったもん勝ち資本主義観」・・極端にまとめればそういうことになるのか。複雑すぎてレビューもしづらい。

第2部 工作員、始動

第2部は2014年のクリミア併合・ウクライナ危機(今となっては第一次ウクライナ危機か)勃発を受けて2015年2月に大幅増補された部分。

⑩ステークホルダーたちの反乱、⑪プーチンの世界、⑫プーチンの「アメリカ教育」、⑬ロシア、復活、⑭国外のエ作員、エピローグ

2008年のグルジア戦争で欧米・NATOの弱腰を見抜くも、アラブの春のような強制的民主化(裏にアメリカがいるとプーチンは思っている)に危機の前兆をみたプーチンは2012年にいったんメドベージェフに譲った大統領に復帰。国内からは大きな非難を受けるがさまざまに強行し、2014年のソチ五輪開催で完全に既成事実化。オリンピック終了後わずか3カ月でクリミア進攻しロシア化。同時にウクライナ東部のロシア人居住地域に進攻。マレーシア機の撃墜もうやむやに。

その8年後の今、2022年にまさに第二次ウクライナ危機で2月22日の今日、東部のドネツク、ルガンスクのロシア人支配地域の独立を一方的に承認。

西側では善ととらえている諸外国の民主主義や自由市場を促進するという西側の政治体制の本質部分がプーチンの世界ではまったく善ではない。プーチンの作り上げた(あるいはロシア的な)閉鎖的なワンマン・ネットワークや経済の「みかじめ料」制度の上に成り立つロシアの政治体制にとって、民主主義や自由市場の促進は明らかに脅威だということ。そして、そんなロシアの有様をプーチン自身はロシアとしての正義だと認識しているということ(ここが、西側の人間にはわかりにくい)。そのロシア主義の先にグルジア戦争がありウクライナ危機がある。(習近平の中国もかなり似ている)

プーチンが2000年に大統領になって22年・・・。ロシア人もうんざりしているのではないかという気がするが・・・。https://www.shinchosha.co.jp/book/507011/

読了後、NHK BS世界のドキュメンタリーで放映されたO・ストーンによるプーチンへのインタビュー「オリバー・ストーン オン プーチン(前後編)」(録画)を再度視聴した。編集のせいもあるのだろうが、プーチンの受け答えのよどみなさは、この本の著者が主張する「プーチンは西側民主主義のことがわからない」というのはアメリカの研究者の一方的な見方かもなどとも思う。(2022/09/23PDF)