El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

mRNAワクチンの衝撃

”Project Light Speed” 光速のワクチン開発全記録

今も世界中で繰り返し接種されているCOVID-19に対するmRNAワクチンの代表選手であるファイザーのワクチンの開発の全プロセスがわかる一冊。ファイザーのワクチンとは言っても、ファイザーはいわば発売元であり開発・製造しているのはドイツの会社ビオンテック社。

ビオンテック社はトルコ系ドイツ人(ドイツが労働力不足からトルコ移民を多数受け入れていた時代に移民してきたトルコ人二世)夫妻が2008年に作った会社。夫妻とはウール・シャヒンとエズレム・テュレジ。それぞれケルン大学とザールラント大学出身の医師で起業家。ビオンテック社は創業以来、mRNAを使った「がん免疫療法」の研究と実用化を目標としていた。21世紀になってそれまで扱いにくい分子であったmRNAが多くの研究者の努力によって次第に治療薬として使える可能性が見えてきていた。それは、たとえば以前紹介したカタリン・カリコの開発した技術など。(実際、カリコは2018年からビオンテックの副社長に就任している)

ビオンテック社では、それらの技術を統合し、さらに日々出現する新手法に目を光らせ

  1. 治療対象である「がん」の抗原部分のDNA配列さえわかればそれに相応するmRNAを人工的に作り
  2. そのmRNAをがん患者に投与することで生体はmRNAから抗原タンパクを作り出し
  3. さらにそのタンパクが攻撃目標として認識され免疫反応を引き起こし
  4. その活性化された免疫反応で「がん」そのものが攻撃される

という一連のプロセスを完成しつつあった。

そのドンピシャのタイミングでCOVID-19パンデミックが起こる。武漢からヨーロッパに感染が広がり始め、中国の研究者がウイルスの遺伝子配列をインターネットに公開したのが2020年1月10日、ウール夫妻は自分たちのmRNA技術でCOVID-19に対するmRNAワクチンを作ることを決意したのは1月21日。

そこからウールの言う「Project Light Speed(光速プロジェクト)」がスタート。テクノロジー・人員・資金・治験・政治的駆け引きなどなど、さまざまに絡み合いながら進行しワクチンが完成し認可を受け、最初の一般人に接種されたのが10ヶ月後の2020年12月8日、驚異の速度。

ワクチン開発は単に研究が好きなだけではできない。テクノロジーへの目配せ(驚くべき論文渉猟量)・周辺技術への配慮・資金繰りにロジスティクス、そして何よりも人間に使用するための何相にも及ぶ治験。それらを着々とこなしていくビオンテック社のチーム力とウール夫妻の指導力。研究が好きなだけではなく、現実社会における実行力がものをいう。

さまざまなことがジャスト・タイミングで一気に結合して光速のワクチン開発。そしてそれが何十億人に接種されているという現実。もちろんビオンテック社とファイザーの得た利益も桁外れ。

接種はイギリスが先行しEUが遅れた・・そんな政治的な右往左往の舞台裏も詳細にかかれている(というか、書かれすぎで読むのが大変でもある)。