El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

誰がために医師はいる

依存症のむこうにあるもの

薬物依存症治療の第一人者、松本俊彦氏による精神医学エッセイ。薬物依存治療をメインにしながら、現代の精神医学全体を俯瞰しつつ、出自から現時点までの自分史をも語ってくれる、中身も濃いが文章も上手であっという間に読んでしまった。

松本氏は小田原の高校から佐賀医大というちょっと変わった経歴の1967年生まれ。冒頭の小田原での荒れた中学時代の話にすでに友人のシンナー中毒がでてくる。なるほど、薬物依存を専門としていなくても、人生の中で「ああ、あの人は〇〇依存だったよな」ということは確かにありますね。

 松本氏はいろいろな経緯があって精神科医としては不本意ながらも薬物依存の治療にはまっていく。何度か語られる大きな気づきが「依存は、それによって得られる快感のために依存に陥るのではない」ということ。ではなぜ依存に、それは「過去や現在のトラウマ・生きにくさ(精神的の場合も肉体的な場合もある)から逃避する手段として何かに依存する」ということなのだ。「唐辛子を山盛りふりかける行為」・・わかる気がする。松本氏自身もアルファロメオの改造にのめりこむ行為依存になったりしている。「依存とは欠落の補填」と考えれば、依存を抑制するまえに欠落が何かを考え、そこを是正していかなくてはならない。

依存症患者の自殺例がいくつか取り上げられおり、それぞれに強い印象を残す。小田原に住んだことのある私にとっては、「小田原城からの飛び降り自殺」がもっとも印象的だった。自殺後の心理学的剖検の話や巨大橋梁の自殺対策など、しられざる精神医療の世界を垣間見ることができる。次回の診察予約をとること自体に治療的な意味があり、予約の有無こそが生ける人と死せる人とを隔てるものだ。・・・なるほど

 メキシコの大麻、ペルーのコカ、中国のアヘンなど、どの民族どの文化にもそれぞれお気に入りの薬物があり、その薬物を上手に使いながらコミュニティを維持してきた。この世には「よい薬物」も「悪い薬物」もなく、あるのは薬物の「よい使い方」と「悪い使い方」だけだ。「悪い使い方」をする人は、必ず薬物とは別に何か困りごとや悩みごとを抱えている。だから依存症をみたらその困りごとを発見しなくてはならないということ。

 もう一つ、薬物自己使用者の再犯防止には、刑罰が有効でないどころか、かえって妨げになっているということ。タレントやミュージシャンなどが覚醒剤中毒で検挙されたときのマスコミ総がかりのバッシングの異様さは確かに感じる。バッシングしたからとて、拘留されたからとて、依存の根本原因である困りごと悩み事を解決しなければどうにもならない。そういう意味では、「ダメ。ゼッタイ。」や「覚醒剤やめますか、それとも人間やめますか」なんて標語や恐ろしさだけを説く学校での薬物乱用防止教室はかえって良くない結果を引き起こすとも。

 後半では、2000年代以降の精神医療の問題点をえぐります。駅前メンタルクリニックの急増、ドリフ外来(めしくってるか、寝てるか)、ベンゾ依存症を生み出す医師の処方などなど取り上げ、精神科医は白衣を着た売人とまで書く。そして最後の章では、薬物依存からアル中への遷移の問題も・・・ストロング系チューハイの危険さ。

 では、どうやって治療していくのか。最終章で、自助グループのメンバーを通して語られるが、それはやはり人と人のつながりということなのだろう。アディクションの反対語はコネクション(つながり)。I and Youではなくて I and I=(レゲエでいうところのアヤナイ)・・と、最後は煙にまかれた感じもするが、それも含めて依存症治療ということなのだろうと。

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(以下はメモ)

薬物依存症治療の第一人者、松本俊彦氏が「みすず」に連載していた精神医学エッセイをまとめたもの。松本氏は小田原高校から佐賀医大という私と微妙にすれ違う経歴の10歳年下、1967年生まれ。

目次に沿って

  • 「再会」――なぜ私はアディクション臨床にハマったのか・・出自、小田原
  • 「浮き輪」を投げる人・・クスリはどう悪いかではなく、クスリをやめる方法
  • 生きのびるための不健康・・依存は快感のためではなく、不快(トラウマ体験の記憶)からの逃避のため。唐辛子を山盛りふりかける行為(ある人を思い出す)
  • 神話を乗り越えて・・瞬殺精神療法「夜眠れているか、飯食っているか、歯を磨いたか―また来週」。少年矯正の世界→解離性同一性障害
  • アルファロメオ狂騒曲・・改造と自傷 心に改造すべきものは
  • 失われた時間を求めて・・小田原城からの飛び降り自殺。心理学的剖検。巨大橋梁の自殺対策。次回の診察予約をとること自体に治療的な意味があり、予約の有無こそが生ける人と死せる人とを隔てるものだ。
  • カフェイン・カンタータ・・ルーティンをこなすための覚醒剤。薬物と規制。どの民族、どの文化にもそれぞれお気に入りの薬物があり、その薬物を上手に使いながらコミュニティを維持してきた。メキシコー大麻、ペルーーコカ、中国ーアヘン。エナジードリンクとカフェイン錠剤―カフェイン中毒。この世には「よい薬物」も「悪い薬物」もなく、あるのは薬物の「よい使い方」と「悪い使い方」だけだ。「悪い使い方」をする人は、必ず薬物とは別に何か困りごとや悩みごとを抱えている。
  • ダメ。ゼッタイ。」によって失われたもの・・薬物自己使用者の再犯防止には、刑罰が有効でないどころか、かえって妨げになっている。NHKでの経験。「それとも人間やめますか」学校での薬物乱用防止教室「ダメ。ゼッタイ
  • 泣き言と戯言と寝言・・精神科医までのみち。脳炎の女性。
  • 医師はなぜ処方してしまうのか・・ドリフ外来。ベンゾ依存症 苦痛の緩和を求めて依存に。2000年以降の問題。SSRIメンタルクリニックと新型うつ ベンゾ依存。精神科医は白衣を着た売人。メディケードのベンゾ騒動
  • 人はなぜ酔いを求めるのか・・脱法ハーブからストロング系。アディクションの反対語はコネクション(つながり)。アヤナイ

参考文献