利己的に生まれ、公共的に(利他的に)死ぬべし
あまり難しくなく読めて、「おわりに」に書かれている「生物は利己的に偶然生まれ、公共的に死んでいくのです」という一文が、すーっと腑に落ちる寿命論の良書。
世界の始まりの混沌の中から偶然生まれた、RNAやDNAそしてウイルス、細菌、単細胞生物、昆虫、マウス、人間と順繰りに誕生と死のメカニズムを解き明かす。
根本にあるのは、有利なものは生き残り、そうでないものは死んで分解産物が有利なものの増殖に使われる、そして生き残った有利なものも、その先は常に多様化するために遺伝子の改変がおこり、その結果またさらに有利なものが生き残る・・という多様化と選択の繰り返し、という進化の大原則。
多様化を得るメカニズムは生物によってことなるが、有性生殖においては精子や卵子が生まれるときの減数分裂の際におこる相同組み換えがメイン。あなたを作った父親の精子の遺伝子には父方の祖父母の遺伝子が、母親の卵子の遺伝子には母方の祖父母の遺伝子があちこち組み換えられて入っている。その組み換えられ方は精子一匹一匹、卵子一個一個でことなる。祖父と祖母の遺伝子が父の精子、あるいは母の卵子の中で手をつないでいる・・・これってアタマがくらくらするほどすごいメカニズムだ。
一方で、われわれ自身、つまり個体としての私の中では、細胞の老化を防ごうとすればがん化のリスクが高まるというトレードオフがあり、55歳をすぎると老化に舵を切るようにできている。そういったバランスの中で寿命が決まっているということ。ところが情緒が発達したヒトは長寿をもとめてしまうという矛盾の中にある。
・・・というようなことがすらすらとわかり、いずれは公共的に死んでいかねばならない我が身であると思い知るのでした。