脱・ニューロン中心主義
脳の働きは、ニューロンが担っている――この「ニューロン中心主義」の常識が覆されようとしている、というテーマの本。
確かに、脳の働きといえば神経細胞=ニューロンが主役だと思っていた。ニューロンが長い軸索を伸ばし、他のニューロンとの間にシナプスを形成していること、軸索は電気信号が高速で流れ、シナプスではアセチルコリンやグルタミン酸が伝達物質となっていることなどは高校生物レベルで学ぶ。ところがニューロンは脳の半分以下しか占めていない。では残りのスペースはどうなっているのだろう。
本書では第1,2章はニューロンの話で始まる。即応性が必要な感覚器や運動器と脳の連絡はまさにニューロンによって行われていることがわかる。しかし、もっと時間的スパンの長い、たとえば「気分」とか「やる気」というようないわば「脳のムード」はどう調整されているのだろう。そこで・・・
第3章ではニューロンのスキマ部分を介した少しのんびりした伝達系の話になる。脳の中に青斑核とか縫線核などのように名前がつけられている場所があり、そこのニューロンは急速なシナプス性の情報伝達だけではなくノルアドレナリンやセロトニンなどの物質を脳内に放出し、それによるゆっくりとした拡散性の伝達を担っているらしい。これらの物質を「神経調節物質」と呼ぶ。
神経調節物質には
①青斑核→ノルアドレナリン・・・脳に何か危険なことがおこりつつあるというアラートを発する。
②縫線核→セロトニン・・・本能的な行動、血圧や体温、摂食や性行動、睡眠サイクル、気分。←抗うつ薬SSRIはここに作用
③黒質→ドーパミン・・・運動機能(特に随意運動)と情動機能←パーキンソン病
④内側中隔核・マイネルト基底核→アセチルコリン・・・記憶や学習、脳のモードチェンジ
などがわかってきており、脳のムードを液性にコントロールしているらしく、脳起源の多くの疾患の治療のターゲットにもなっている。
第4章では、これまで脳のショックアブソーバーくらいにしか思われていなかった脳脊髄液について。脳脊髄液って成人で150mlくらいですが、一日の循環量(産生量)は450ml、つまり一日に3回もターンオーバーしている。では古いものはどこにいくのかというと髄膜のリンパ管に入ったり血管周囲腔が筒状の通路になっていたり。著者は、こうした経路で脳内の老廃物を捨てる仕組みをグリア+リンパという意味で、グリンファティック・システムと呼ぶ。睡眠時間やアルツハイマー病と老廃物の関係など研究が盛んな分野になりつつある。
第5章では、脳内の電場が精密に測定できるようになってきたことから、脳の細胞同士が電気的にワイヤレスに情報伝達を行っている可能性について言及。また細胞外のスペースを調整することで通電性に変化をつけて頭の働きの強弱が生まれている可能性の話も面白い。一方で、アメリカの在外大使館でのマイクロ波攻撃はこのあたりの脳のメカニズムに作用するのだろうか?
第6章、第7章はここまでを踏まえて、ニューロン以外とくにアストロサイトなどのグリアが頭の良さに関係しているという話。結局、ニューロンだけでなく、様々な伝達系や脈管系が脳を構成しており、これまで研究しやすいニューロンにフォーカスしていた研究が大きく変わりつつあるのかな、と感じた。
40代の若い研究者。脳科学などという怪しいくくりではなく、きちんとした脳の生理学的研究が成果を生み出していることを実感できる。