El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

工学部ヒラノ教授の傘寿でも徘徊老人日記

 傘寿でも期待を裏切らず

ヒラノ教授シリーズ、7月に刊行されたばかりの最新刊。毎年刊行されるし、ヒラノ教授も文中で書いているように、同じネタの使いまわしも増えてきたがそこは、ファンとして気にはならない。

今回は、人生を通しての漫画・映画・音楽の振り返り、数学特許の裁判の顛末、亡くなった娘さんとからむ次回作につながる話題。

裁判のテーマを面白く読んだ。社会はどんどん新しいことが産み出されて変化していくので、既存の法律では解決しないような利害の衝突が次々と起こる。ところが、日本の裁判官は既存の法文解釈の拡張でしか解決しようとしない、そのため現実と乖離したトンデモ判決になる。あるいは、トンデモ判決を回避して数学特許のように裁判自体の意義を消滅させるとか、和解にもちこむとか・・・本当によくある話。

ヒラノ教授の母親、ヒラノ教授、ヒラノ教授の子供たちの話題は、多くの読者が身につまされるのでは。最終的には、親であろうが子であろうが、自分以外は自分ではないのだから、個として尊重しなくてならない。ところが自分以外である妻や子を自分の思考の中の登場人物みたいに考えてしまいがち、それがエゴ。そこからの脱却と気づき、そこまでには80年近い人生が必要なのかも。

そこに踏みこむのだろうか、次回作を待つ。