El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

晩年のカント

 いずこも同じ秋の夕暮れ

晩年のカント (講談社現代新書)

晩年のカント (講談社現代新書)

 

科学の時代に生まれた私にとって、カントの認識論は、頭の中がくるりとひっくり返るような経験ではありました。74歳になった哲学者中島義道氏がその「純粋理性批判」から30年以上を生きたカントの70歳以降の人生をなぞり自分の哲学者人生を重ね合わせる。哲学者どうしの論争というディスりあいが面白い。SNSのない時代、手紙や著作でやるんだから大変だ。結局、老境にはいれば、自説にしがみつきながら思考を停止し死に向かう。

63歳で手に入れた初の持ち家も死後にはすぐに売り払われ居酒屋になり、一生出ることなく過ごしたケーニヒスベルクという都市も消滅してしまった。まさに諸行無常

哲学者でもない読者(私も)にとっては最終章「老衰そして死」からカントの言葉を引いておこう。

「自分の一生の大部分を通じて苦しみ、したがって毎日が長くなった人間が、しかも人生の終わりに至って生の短きを嘆くという現象は、なんと説明したらよいだろうか」

「計画に従って進行し所期の大いなる目的を達成する仕事によって、時間を充実させるということは、自分の人生を楽しくし、同時にしかしまた人生に飽きるようにする唯一の確実な手段である。」

「君が考えたことが多ければ多いほど、君がなしたことが多ければ多いほど、それだけ長く君は生きたことになる」