El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

ペニスカッター

性転換手術の現場で奮闘した和田先生の冥福を祈る

ペニスカッター:性同一性障害を救った医師の物語

ペニスカッター:性同一性障害を救った医師の物語

 

タイトルから受ける印象とはまったく異なり、本書は和田耕治先生というLGBT治療黎明期を駆け抜けた一人の医師のライフ・ヒストリーです。テレビタレントのはるな〇ちゃんの性転換手術を執刀した先生といえば、知っている人はピンとくるかも。

日本では1965年の「ブルーボーイ事件」(本書補遺にて解説あり)以来、性転換手術がタブー視される(法的には不可能ではない)ようになり手術を受けるにはタイやフィリピンで受けるしかない状態でした。その後、埼玉医大精神科からの運動があって日本精神神経学会が1997年にLGBTの診断と治療のガイドラインを策定し、20年かけて最近の状況にまで遷移してきました。まさにLGBTへの世間のそして医療界の対応は平成年間に激変したのです。

和田先生はこの変化以前から独自の信念と患者を思う心から、さまざまに工夫をこらしながら低価格で性転換手術を開始しました。まさに性転換手術界の赤ひげ先生であり、ある意味因習打破の突破者でもあった。ニューハーフにとっての神様・救世主と言われるようになっていく過程は興奮します。

しかし、短い絶頂期の後、和田先生がつまずいたのは麻酔原因による2例の死亡事故でした。外科医も麻酔ができる、というか手術をするために外科医が麻酔も自分でやるというのは一時代前は普通のことでもありましたが、一人で麻酔(マスク麻酔に硬膜外麻酔の併用)をしながら手術もやるという状況はやはり事故が起こった時に大変です。ちょうど医療事故にたいして警察が動くという風潮が出てきたころでもありました。

和田先生は自分は間違っていないという信念があるので、民事・刑事でも自らが矢面にたってがんばり、その間にも手術を執刀するという激務の日々だったよう。その後には民事の賠償金などに悩まされることになります。さらに長く長くかかる警察・検察の捜査。起訴猶予処分。多忙さは解消されず・・・・そんな中での死。

美容形成外科の現実や性転換手術の現場感覚を感じながら読み進めて、最後は主人公の死。善良でやる気のある医師がいても、医療は善良さだけではやっていけない部分もあるということでしょう。いま一歩のリスクマネジメントができなかったものか。

社会の議論の中ですっかり抽象化された感のある「性同一性障害」ですが、本書を通してその治療の現場を具体的なものとして知ることができました。しかし地方出身の医師が自らの正義感で邁進して死に至る。和田先生がまさに私の出た田舎の高校の4年先輩であるだけに、何とも他人事とは思えないメランコリックな読後感になってしまいました。