El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

蔵書一代

気持ちはわかるが・・・価値観の転換が結局できなかった?

蔵書一代―なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか

蔵書一代―なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか

 

本という物体、レコード・CDという物体・・を所有する喜び、もちろん私にもあります・・が、すでに古い。コンテンツが利用できればいいと思えるようにならないとやっていけない時代ではないでしょうか。PDFや電子書籍、電子的音源を所有すれば、いや所有さえも不要で、好きなときに利用可能でさえあれば、それでいいと、気持ちの整理をつけなければと・・自戒しながら読みました。

紀田順一郎先生といえばIT書斎術みたいな本を書いていた時代もありました。60歳前後に吉備高原に移住したときに舵をきりそこねたということでしょうか。人生、思うようになりませんね、勉強になります。
http://plus.harenet.ne.jp/~tomoki/topcontents/news/2010/010601/index.html

わたしは、10代からその時代ごとに読んできた、北杜夫遠藤周作三島由紀夫などなどの文庫本を10年ほど前から新古書店で100円で再収集し、PDF化すること数千冊。SONYのデジタル・ペーパーやiPad、PCで読んでいます。新刊も買いますがほとんどは読後にPDFにしてクラウド保存してしまいます。手元にはインデックスがわりの京大カードが残るのみ。

青空文庫や公的図書館の電子本サービスなども充実してきて、「蔵書家」=「アナログレコード収集家」になりつつあるのだと。60歳くらいで思いきらないと、紀田先生のように80歳すぎて蔵書抱えていたら大変なことになるでしょう。