El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

友だち

メタな構成で深みが増し増しの不思議な小説

冒頭から、自殺した男友達(恋人?)が飼っていた巨大な犬(アポロ:グレート・デン)を託された女性である「私」の独白が続く。文学の教師であること、作家であること、読む人であること。文学や自殺についての多くの作家や哲学者の実話やことばが紹介されながら、アポロとの暮らしを通して、文学的思索・死んだ男友達との心のふれあい・アポロとのふれあい、それらが、メイ・サートンの日記にも似て淡々としながらも思索にあふれた記録文学として結実する、そんな感じだ。

それが第1章から第10章まで続き、「白紙のページを打ち破れ!」とだけ書かれた227ページを過ぎて、第12章へ続き、おそらくはアポロの死で幕を閉じる。(以下ネタバレあり)

ところが第11章だけはメタなレベルで書かれている。「私」は男友達を訪ね、男友達が自殺をはかったが未遂に終わったという話になり、その事件を自分の中で消化(昇華?)するために、自殺が未遂に終わらなかった(=死んだ)という仮定で小説を書いたという会話が、当の男友達と「私」の間で交わされる。

第11章があることで、自殺がなされたのが真実なのか(=11章がフィクション)未遂に終わったのが真実(=11章以外がフィクション)なのか、混乱する。どちらともとれる。ギミックとも言えるが、深みを与えているような気もしないではない。第11章をふまえてもう一度読んで見ようかという気にもなる。