タイトル「anéantir」は「滅ぼす」ではなく「帰無」(無に帰る)と訳したい
「滅ぼす anéantir」下巻を九州・久留米への旅の中でKindleで一気に読み終えた。けっこう怒涛の展開だ。人間が「無に帰る」には多くの道筋があることがテーマのようにも読めるので「滅ぼす」ではなく「帰無」という日本語タイトルがよかったんじゃないか(フランス語としては「滅する」と自動詞と考えるのが普通でもあり)と・・思う。
上巻で脳卒中に倒れた父親はフランスのいびつな医療制度の中で姥捨て山的な合法的安楽死方向に押しやられそうになり、そこからの救出作戦がまず一つのヤマ。実際に欧州の安楽死を合法化した国では高齢者や弱者に対する安楽死の過剰適用が起こっているらしい。日本ではまだその前の安楽死そのものが議論になる段階で、どちらかというと安楽死礼賛本が多いのだが、過剰安楽死のヨーロッパの現実に驚きもする。
父親救出作戦の中で真の愛を見つけたポールの弟オーレリアンは自殺に追い込まれる。心優しいものもまた「帰無」。しめくくりに、主人公のポール自身も口腔がんであることがわかり、治療法選択のためのかなり医学的にもつっこんだやりとり、ハード。「帰無」への過程で取り戻される妻との愛情。
などなど、前半の政治小説から後半は医療小説の趣。共通するのはさまざまに生きたのち、人はまたさまざまに「無に帰る(anéantir)」ということ。
さすがのウェルベック。ほぼ同年代。問題意識の変遷も年齢変化によるものなのだろう共感できる。堪能しました。