El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

安楽死が合法の国で起こっていること

感情論としてはわかるが、高齢者問題は別の議論が必要

冒頭に相模原の障がい者施設での大量殺害事件が取り上げられていて、いきなりセンセーショナルなゾーンへ議論を運ばれてしまう。その後も新聞をにぎわせた事件が続き、「そうだよね、日本で安楽死なんて認めたらあぶないよね」ということにはなる。

さらに、ヨーロッパ、北米の安楽死が法的に認められた国で次第に安楽死の適応範囲が拡大されて、あんなこともあった、こんなことも起こったと、まるで坂を滑り落ちるようにナチスの優性思想的な弱者の排除が拡大している、というトーンで事例が取り上げられている。

一方で、超高齢者医療も同じ次元で語られる、橋田壽賀子さんあたりの「安楽死で死にたい」が否定的に取りあげられてもいる。結論として「すべての生は礼賛されるべき」という、ナイーブな話になってしまう。

「障がい者や難病患者の安楽死」問題と、超高齢者問題は切り離して考えるべきだと思う。「障がい者や難病患者のケア」は社会の少数弱者を社会の制度として支えようという福祉の話であるが、高齢者医療はマスとしての大きさから医療経済の話だろう。あまりにもパイが大きいのでナイーブなだけでは経済的に立ち行かなくなる。「命の話に経済を持ち込むことは悪」みたいに書かれているが、経済的に持続可能であることも重要。