El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

微笑む人

好きだなあ・・・こういうメタ小説

Audibleで聴いていたがまあまあ面白くて先を急いで紙の本で読んだところが・・・思いもよらないエンディング。人を喰ったような・・・とも言えるが、こんな反転があるからこそ作者が何を言いたかったかがよくわかる(と、「よくわかる」こと自体のあやうさがテーマでもあり・・・)

Audible聴き始めの「サイコパス?」という私の感想そのものがすでに作者の仕掛けに引っ掛かってる。そしてそれは最後の10ページほどを読むまでわからない!まあ「ひっかけ小説」と言えないこともないけれど、「イニシエーション・ラブ」のような叙述トリックでひっかけるのでははない。「本を読むこと・物語を理解すること」それ自体を相対化する「ひねり」それはめったに遭遇しないので、読後確かにクラクラする。

冒頭の殺人事件からずーっと積み上げてきた読み手の推理思考、残りページが少なくなってきて「あれ、どんなふうに決着が??」と思っているといきなり終わる。そして、積み上げてきた推理思考そのものがボンヤリぼやけていく――うーん、何を言ってるかわからないかも、実際最後まで読まないとわからないこの感覚。

「人は見たいようにしか他人を見ない」「人はわかりやすいストーリーを求める」「記憶の塗り替え」、そして究極的には、「人は自分自身をも含めて、自分が見たいように、わかるようにしか理解しえない」ということ。

一見、作者が途中でめんどくさくなって読者を放り出したようなエンディングだが、おそらく最初からの狙いだったのだろう。エンタメなのに哲学的。是非、一読を。