清末 中華民国
前半は、清 vs 太平天国や義和団の乱。特徴はある程度成功するとすぐに内部分裂を引き起こすこと。その後は清朝内部の改革派(洋務派)のあたりまでは、日本を見習って改革をすすめようと日本留学熱などあったのだが・・・伊藤博文ら日本首脳は清が立てなおることよりもグチャグチャになることで火事場泥棒的な利益を得ようとする。そんな明治のころのボタンの掛け違いが1945年の敗戦につながるんだな・・と。
中盤は、国民党による清朝打倒による中華民国成立、その一方でロシア革命を受けての共産主義勢力の拡大、そして日本は・・・
日本の外交姿勢は、国民革命の展開や中国ナショナリズムの高揚という現実を認識せず、強圧的な態度で権益の確保をゴリ押しするものだった。これに二度にわたる山東出兵や張作霖の爆殺事件が加わり、中国国内の親日派が活動できなくなる程の影響を与えた。それまで主として英米に向けられていた中国のナショナリズム運動は、一気に日本をターゲットとし始めたのである。
そして日本のあまりに傍若無人な侵攻についには犬猿の仲、蒋介石と毛沢東が手を結ぶことに。
日本は中国の最期のひとかけらの土地まで占領しなければ戦争を終結できない。対中国戦では武力で首都を占領しても、中国の命運を制することはできない。(蒋介石)
他国への侵略戦争の終結について、日本や日本軍はきちんとしたコンセプトがあったとは思えない。将来展望なんてないままのなし崩し的侵略。ロシアのウクライナ侵攻と同じように引くに引けずに窮したわけではある。
最終章のおまけ的ないくつかのエピソードが初耳が多い。「にっぽん音吉」「霧社事件」そして現在の中国は「ジャイアンになったのび太」と書くが、過去の日本もそうだったような。