El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

平治の乱の謎を解く

他説の無理には厳しく、自説の無理には寛容

「平治の乱」で一冊書けるの?!と思ったが、そういえば一年前に読んだ「双調平家物語(10)」は一冊まるごと平治の乱だったことを思いだす。乱の結果、信西一派が追い落とされ、次に首謀者藤原信頼と源義朝が死に、平清盛が実権を握るのだが・・・さあどんな謎解き、読んでみた。

平治の乱の「双調平家物語」での解釈は、「後白河上皇の寵をめぐる実権者・信西と男色愛人・藤原信頼の権力闘争の中で藤原信頼が暴発しそれに源義朝がのってしまった」というもので二条天皇の存在はほぼ無視だった。

これに対して、桃崎氏の主張は

  1. 「後白河上皇院政の実権者・信西が二条帝の弟(後白河の別の息子)を春宮にたてようとしたことに危機感を抱いた二条帝が信頼・義朝に命じて院の御所を襲撃し信西一派を掃討し二条帝による親政を実現したが」
  2. 「二条親政の基盤が意外に脆弱だったことや平清盛の存在からビビった二条帝側が信頼・義朝を裏切り、信頼・義朝が勝手に暴発した(従来説)ことにして内裏を抜け出して、被害者を装い、清盛らが官軍として信頼・義朝を掃討することを黙認」
  3. 「その作戦が功を奏して、二条帝親政が再現されたが、今度は調子にのった二条帝とその周辺を嫌った後白河上皇+清盛らが二条帝周辺の官僚を追い落とし後白河による院政を復活」
  4. 「全体を通して清盛の権力が強化され、二条帝とその息子六条帝が病死し後白河ー平氏系の高倉帝ー安徳帝と皇統が変化」

と、いったところ。乱の主役を二条帝としたところが新しい。まあしかし上記②→③の流れはかなり無理がある。17歳で子供もいないのに後継者のことでここまで熱くなる?ビビッて陰謀から抜けるのにそれ以外では妙に強気?

他人の説の無理はどんどん追求するのに、自説の無理は目をつぶるという歴史研究によくあるパターンのようにも見え、にわかに桃崎説に傾くわけにはいかないと感じる。

朝廷や貴族の権威による支配があり、その権威の内側の権力闘争に暴力装置としての武士を使っていたらその力が次第に大きくなって、暴力装置(=武士)そのものが権威をもつようになって行くという大きな流れは変えられない。天皇や将軍など人物中心主義の歴史学というのもあってもいいし、それが大きな流れに影響を与える場合もあるのは本書でも読み取れるーしかしシロウト目には、ここまでいきり立って論ずることもなかろうという気もする。