El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

コリーニ事件

読みやすいのに深い、それがシーラッハ節

シーラッハはフォン・シーラッハという名が示すようにドイツ貴族の家柄。しかし、祖父はナチスドイツの大物(ナチ党全国青少年指導者・ウィーン大管区指導者)で戦争犯罪人として有罪となり20年の懲役刑を受け、シーラッハ2歳のとき(1966)に出所している。自分が物心ついた時にはすでに老人であった祖父がそのような過去をもつ人物であったということが、本作「コリーニ事件」を書く大きなきっかけになったのだろう。

ドイツでは戦後、ナチの戦争犯罪が(日本に比べれば・・・)きちんと処断されたように思っていたが、そこにはやはりさまざまな駆け引きがあり、ナチ親派の法学者がたくみな立法活動で多くの戦争犯罪の罪を問えなくするようなこともやってきたことは間違いない。本書のテーマはむしろそこを糾弾することにあるともいえる。

同じことは当然、日本にもあっただろう。いや、日本の場合はもっとうやむやのうちに歳月が流れたともいえようか。

ともあれ、そういうナチという国家的な戦争犯罪の追求が一方にありながら、国家的なしくみでそれをスポイルさせるような動きもあったわけで、本作はそれをフィクションの法廷小説として巧みに糾弾しており、まさにシーラッハでなければ書けなかっただろう。

それに加えて主人公の弁護士のビルドゥング・ロマンとして提示される「プロフェッショナルのあり方」はシーラッハ作品に共通するテーマとして深くしみる。(原作を先に読み、続けて映画版「コリーニ事件」を観ることにする)

コリーニ事件(字幕版)

コリーニ事件(字幕版)

  • エリアス・ムバレク
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