El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

時間の終わりまで

読み方によっては面白い。全部読み通すのはやや苦痛。

11章500ページ超だが、下記のように4つのパートに分けられる(と、思う)。

①前提となる知識ーエントロピーで語る時間の意味

第1章 永遠の魅惑 始まり、終わり、そしてその先にあるもの
第2章 時間を語る言葉 過去、未来、そして変化

②すべてはエントロピーとダーウィニズムで語れる?

第3章 宇宙の始まりとエントロピー 宇宙創造から構造形成へ
第4章 情報と生命力 構造から生命へ

③では、意識・心はどうなの

第5章 粒子と意識 生命から心へ
第6章 言語と物語 心から想像力へ
第7章 脳と信念 想像力から聖なるものへ
第8章 本能と創造性 聖なるものから崇高なるものへ

④再び、人類のいない世界へ、そして時空も終焉へ

第9章 生命と心の終焉 宇宙の時間スケール
第10章 時間の黄昏 量子、確率、永遠
第11章 存在の尊さ 心、物質、意味

ビッグバンから宇宙の消滅までがエントロピーの増大(右肩上がり)の流れの中にある。ただし、局所的にはエントロピーを減らす(もちろん、その分のエントロピーはどこかで増えている)動きもある=エントロピック・ツーステップセオリー。

横軸が時間で縦軸がエントロピーのグラフを考える。時間の経過とともに右肩上がりのグラフになるわけだが、一直線に右肩上がりではなく、部分的には、そして局所的にはエントロピーが低下することもありグラフはノコギリの歯のようにギザギザになりながら全体としては右肩あがり。

たとえば、人間が生れ落ちて老いていき死ぬというエントロピー増大の中で子供という形でエントロピーが低い存在を作りだし、その分だけ親のエントロピー増大は加速する・・そんなイメージ。これはいわゆる散逸構造の理論と同じ。

ビッグバン以降、このエントロピーのゆらぎ部分でさまざまな原子が分子がそして生命が産み出され人類が存在し、やがては滅亡し、最後には時空すべてが終焉に向かう。--という壮大な話で、これはこれで面白い。①②④で語られるのはこれ。

ところが途中に③で唐突に「意識・心」の話になりそれが延々200ページも続く。うーん、テーマがぼけてしまい、ここで挫折しそうになる。結局③の結論は出ないままなので、なぜこれを入れたのか?ページ数の関係なのか?

エントロピー宇宙論だけで十分面白いので③をとばして読むのもありかと。