El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

ブックガイド(103)―「がん」になるから「進化」もできた―

ブックガイド(103) https://uuw.tokyo/wp-content/uploads/2022/08/bookguide103.pdf

気楽に読める一般向けの本で、アンダーライティングに役立つ最新知識をゲットしよう。そんなコンセプトのブックガイドです。第103回目のテーマは、なぜ「がん」になるのかを進化の視点から探ります。

著者のキャット・アーニーはイギリスのがん研究基金「キャンサー・リサーチUK」の科学コミュニケーション部門で12年間働いたのちサイエンス・ライターとして独立した女性。がんについての知識と人脈が豊富で、そのキャリアが本書を生みました。

難解ながん研究の最前線を一般人にわかりやすく教えてくれる本といえば以前このレビューでも紹介したシッダールタ・ムカジーの「がんー4000年の歴史」(2013年発刊・2016年文庫化)がありますがいかんせん10年経ちこの10年間にこの分野ではさまざまなことがあったことを考えるとすでに古いと言わざるを得ません。

一方、本書の原著は2020年発刊で引用文献などからみて2019年までの出来事が織り込まれていいます。現時点でがん研究の最前線のここまでの情報が一般書で読め、その目くばせの範囲を考えると医学書よりも優れたものになっているのに驚きました。

この10年間でがん研究と治療での最大の出来事の一つは「がんゲノム医療」の登場でしょう。それは、次世代シークエンサーの普及とがんに対する分子標的薬の開発がもたらしました。具体的には、2015年に当時のオバマ大統領が一般教書演説で「Precision Medicine」と言い出し、それが日本では「個別化医療」と訳され、具体的には「がんの原因となっている遺伝子異常をターゲットとしたがんゲノム医療」の流れとなって行きました。

そして、その流れは日本でも2019年に「がん遺伝子パネル検査」となってコロナ前の医学界ではある意味目玉商品みたいな扱いでしたよね。それから3年経ちましたが、何だか忘れられようとしているのでは・・・コロナのせいでしょうか?

ところが本書を読むと、すでに2012年には「人体の中のがんはがんになった後もさまざまに遺伝子変異を起こしており、いわばがんとして進化している」ことがわかっていました。つまり、がんの遺伝子プロフィールは動的に常に変化しており、がんは遺伝子的に異なる細胞集団のパッチワークのようなものなのです。

そうなると、がん組織を摘出し標本としてすりつぶして遺伝子パネル検査をしてみたところで、摘出した時期と部位(すりつぶせばみんな混じってしまうが)によって結果がちがってくるのは当たり前です。同じがん組織の遺伝子パネル検査を二つの検査機関に出すと結果と推奨する抗がん剤がちがっていたという笑えないエピソードもあります。

肺がんの抗がん剤治療で最初は効果があっても次第に効かなくなって再発してくることはわかっていたましたが、何となく遺伝子プロフィールがAからBへとドラスティックに変わったような理解をしていました。ところがそうではなくて、多数の遺伝子変異のパッチワークのうち目立つものをたたけば、たたかれなかった変異をもつがん細胞がのし上がってくるという、抗生物質と耐性菌みたいな関係だったということです。

そもそも、美容整形(まぶたの切除)で得られた皮膚の遺伝子を調べると、そこにはがん遺伝子を含むさまざまな遺伝子変異がすでに蓄積しているらしいです。ひとの一生では、生れ落ちてから遺伝子の変異や修復や修復エラーなど、遺伝子レベルではさまざまに変化しながらなんとかかんとか生き続けている―いや、むしろ、その変化こそが人間が人間に進化した原動力でもあったわけです。

そんな中で、増殖し続けるという変異が実体化した場合をがんと呼んでるだけのこと―と、この本を読んで自分の中ではパラダイム・チェンジしました。勉強になりました。

「がん遺伝子パネル検査」や超高価な「分子標的薬」の商業主義に踊らされていた部分もあるのでしょうね。これらがコロナ後にどうなっていくのか注目です。それでは、また次回!(査定職人 ホンタナ Dr. Fontana 2022年8月)