El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

ジェネリック医薬品の不都合な真実

驚愕のインド産ジェネリック薬

インドのジェネリック製薬業の歴史、その発端から興隆の道程、そして世界がそれを受け入れざるを得なかったわけ、残念なその後の腐敗の過程、さらに、それでも世界がそれを使い続けなければならないわけ・・・膨大な調査を通してこれらすべてが500ページに盛り込まれたスゴイ本。「Bottle of Lies」という素晴らしい原題が「ジェネリック医薬品の不都合な真実」とまるで新書みたいなタイトルにされてしまってはいますが、ジェネリック薬に関する最高・最強の調査報道。医療関係者必読。

帯に曰く「2万点を超える機密文書の調査と、200人以上の内部告発者、不正を行った企業の役員・現場作業者、米国の食品医薬品局FDA)の査察官らへの緻密な取材によって明らかになった事実」・・・読み終えて、驚愕です。

ジェネリック薬の存在意義は特許が切れた先発薬と同等の効果と安全性を持つ薬を安価で提供すること。それは、政府の医薬品審査機関の厳格な管理・監督のもとジェネリック医薬品メーカーが高い倫理観をもって「先発医薬品と変わらない薬効・安全性の薬を製造しているはずだ」という「信頼」を前提として作られた制度。つまり、ジェネリック薬はそもそも先進国の企業倫理と法制度のもとで製造されることが前提。

しかし時は流れグローバル経済の進展で、先進国とは異なる倫理観や社会制度をもつ国々が工業化し世界の工場となっていく。衣類や機械など品質や機能がわかりやすいものを作っている間はよかった、しかし「薬」はどうだろう。外観ではわからないし、結果としての作用もあからさまにはわからない。

そんな流れの中心にあるのがインド。インドにはガンディーの頃から独立の見返りとしてイギリスの依頼で第二次世界大戦の戦士向けのキニーネなどの製造を行っていたという歴史もあります。英語力と理系脳にすぐれる上層社会のインド人は20世紀後半に続々と欧米の大学へ留学、医学部や薬学部には多くのインド人が。当然、欧米の製薬企業にも。インドにもどった彼らは製薬会社を起業。新薬開発はできませんが既存薬を合成することには長けていたのです(いわゆるリバース・エンジニアリング)。そして1970年インディラ・ガンジーの時代に「インド特許法」という独自の特許法で模倣薬を自由に作れることになり、インド国内ではそんな薬が流通する時代が到来します。しかし、世界市場からは締め出された状態でした。

1980年代、HIVの世界的流行が大きな転機になりました。欧米の製薬会社の超高価な抗HIV薬をインドは100分の1の価格で提供するという賭けに出て、世界世論を動かしインド製抗HIV薬が主にはアメリカの予算でアフリカ諸国に供給されることに。インド製薬業界が世界的な薬品供給者として認められたのです。

そして21世紀、高騰する医療費に悩む先進諸国も次第にインド薬に門戸を開いていきます。もちろん、先進国並みの企業倫理と監督制度のもとで製造されることが前提・・・のはずでした。そこに立ちふさがったのが「ジュガール」というインド人の心性。「ジュガール」とはヒンディー語で「応急処置」という意味らしいのですが、転じて「その場しのぎでうまくいくならそれでOK!」、さらには「さまざまな規制をたとえ違法な方法でもくぐり抜けて目的を達成する才能」。まあ、日本でも明治維新の頃の政商や戦後の闇市などはジュガールでしょうね。インドでは今でも「ジュガール」力がビジネスで成功する才能として尊敬の対象でもあります。(例えば、下記の本など)

インドで作られたジェネリック薬をアメリカで使えるようにするためにはFDAの認可、さらには定期的な精度管理や工場の査察など品質管理のための高いハードルがありそこにコストがかかります。こういう場合に「ジュガール」は、でたらめな書類や、その場しのぎの査察対策でFDAをごまかし、いい加減な品質管理でコストダウンできるなら、それが正しい・・という具合になります。品質管理されていない薬でアメリカの患者に健康被害が起こってもわからなければそれでいい、いやむしろそれこそが正しいということです。

この本の展開としては、アメリカで成功してインドにもどってきたインド人研究者が、インド製薬業界のジュガール体質にいやけがさして内部告発し、それを発端にFDAやアメリカの司法とインドの製薬業界(さらにはインド政府)の間でさまざまな法や駆け引きのバトルが繰り広げられます。その研究者の事件は解決するのですが・・・一方で、財政的にジェネリックを求める政府や消費者もあり、インドのジェネリック薬のジュガール体質は改善できません。それどころかFDAが規制を厳格化しインドからの薬剤の輸入が滞るとアメリカ国内で薬剤不足がおこってしまう事態に。

結局のところ、①そのような薬が実際に米国の人々の健康を奪っていること。②米国向けよりもさらに低レベルで品質基準を満たしていない薬が発展途上国へと流れ、甚大な健康被害を生み出していること。③品質の悪い抗生物質が、薬剤耐性菌発生の一因となっていることなどは、今も続いています。

もちろん、この本で取り上げられている事例は先進国と異なる倫理観の国の企業の話であり、先進国内のジェネリック薬にあてはまるものではないことは当然です。ただし世界一厳しいといわれているFDAをもってしてもなぜ、「嘘」でつくられた薬が消費者の手に届いてしまったのか、そのメカニズムを知ることは重要でしょう。この本を読んで感じる不安に対しては日本ジェネリック製薬業界のwebsiteでもQ&Aの形で解説されていますので是非こちらも読んでみてください。

新型コロナウイルス感染症にしてもそうですが、先進国の生活環境や衛生状況さらには倫理観の世界では起こりえなかったようなこと、つまりはインドや中国のリアルな状況が感染症や薬剤という形で直接、われわれの生活に関わってくる、それがグローバル化ということなんですね。

出版社サイト

ジェネリック医薬品の不都合な真実 世界的ムーブメントが引き起こした功罪(Katherine Eban 丹澤 和比古 寺町 朋子)|翔泳社の本 (shoeisha.co.jp)