El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

スマホ脳

 漢字が書けないのはスマホのせい!

スマホ脳(新潮新書)

スマホ脳(新潮新書)

 

たしかに、カーナビが普及して道順を覚えなくなった。途中のプロセスなんて考えもせずナビの指示通りにドライブするだけで目的地に着く。最初(数十年前)は違和感があったけれど、今はもうタクシー運転手もカーナビ頼りだ。

スマホで同じ現象が起こっている。それも運転という特定の作業ではなく、字を書いたり、計算をしたり、記憶したり、そんな人間の知的で基本的な作業が損なわれている。それは文章を手書きするときに感じている人も多いでしょう。あやふやになっている漢字がだんだん増えてきた。

ならば、物心ついた時からスマホがあったスマホ・ネイティブの子供たちはどうなるのか・・・漢字書けなくなるのではないか。そんなスマホに対する漠とした不安をスウェーデン精神科医が精神医学・脳科学の研究データや進化論を駆使して解説してくれるのが本書、そのタイトルはズバリ「スマホ脳」。

進化論的に言えば、人間は本質的に飢餓や外敵を避けて生き延びるように作られている。つまり、摂食することや、めくるめく周辺状況の変化をチェックすることで脳内の報酬系システムが作動しドーパミンやエンドルフィンが出て快感を得る。それが現代社会においては過剰摂食が肥満につながり、情報監視行為がスマホ依存につながる。

一方、人類の知恵は定住し安定した生活の中で、周辺環境に左右されず集中して考えたり学んだりすることで作られてきた。もちろん集中することで産み出された発見に対する喜びもあるにはある。ところがやはり、より原始的な「めくるめく周辺状況の変化をチェック」のほうが脳の喜びは大きいらしい。そのため、集中して学ぶ喜びより、スマホ依存であふれる情報の海をただようようになってしまう。

当然、集中力はなくなる。それでも作業記憶はできるが、それを固定化して長期記憶として脳に定着させることはできなくなる。スマホで調べたり、写真撮っても記憶に残らない・・・確かにそうだ。さらに睡眠への悪影響やSNSによるストレスで心を病むケースも増えてくる(これは日本だけでなくスウェーデン含め世界中同じらしい)。

で、どうしたらいいのか・・・スマホをできるだけ遠ざけるのが第一だが、できそうな対抗策としては「運動」。適度な運動は知能的処理速度を回復させる。まあ、スマホを置いてウォーキングやジョギングしましょうということ。

進化論的に考えれば、そのうちスマホに適応する方向に人類が進化するだろうから心配ないのでは・・・という反論は当然あるらしい。それに対しては、スマホ依存のように生存や繁殖にメリットがない特性の変化は継代されないので、そっちの方向への進化は絵空事でしょう・・・と、理路整然。

新書にしては読みごたえありました。