El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

文明論講義 未来は予測できるか

 個々の人生は統計的には予測できない

副題の「未来は予測できるか?」が原題であり、内容も予測学の歴史と進歩をひととおり解説し、遺伝子解析やコンピューターの進歩による現代そして未来の予測が人類におよぼす影響へと話が進む。現代そして近未来の予測精度の向上は、生れた、いや生まれる以前にも、遺伝子やその後の環境を通して人生の多くのことが予見できるようになるということであり、個人にとって決して幸福ではないと説く。

一方で、そうした科学的予測(多くは正規分布的な発生率に根拠をおく)が突発的な出来事によって覆される(ブラック・スワン@タレブ)こともまた事実。よって、個々人にとっては、予測学的未来を自分の人生を自身のものとしてコントロールする手段とし、さらに最悪の事態にも備える、そんな自身の未来史を考える習慣をつけるべきだ。と。

「ビッグ・データ」ブームだが、いわゆる大数の法則ふくめ確率の正規性に依拠しているのであろうから突発的な事象には当然対応していない。

・P143「さまざまな未来の発生確率に正規分布を用いると極端な出来事の発生確率は過小評価されてしまう(マンデルブロー)」

・P153「自己監視マシーン(例のリストバンドもそのはしりか)」の精度が上がれば、それらの相関関係はまもなく予言に変わるに違いない。保険会社が自己監視マシーンの下す結果からその人の保険料率を決定するのだ。つまり、保険会社、各被保険者が予防的な生活態度をとっているかどうかに応じて、その人の余命とリスクを査定するのである。

・P228(訳者あとがき)統計から導き出される大数の法則などに有用な面があるのは間違いない。しかし、そうした計算はあくまで集団として見た場合の数値であり、今を生きる一個人にとって、ある事象が何パーセントの確率で起こり得るとわかっても、あまり意味がない。なぜなら、本人にとって自分の人生を大きく左右する出来事は、起きるか起きないかの二つに一つだからだ。

だからこそ、われわれ各自は、コンピュータがはじき出す統計だけを頼りにするのではなく、時系列に則した因果関係のある物語を自分自身で思い描き、未来を予測しなければならないのだ。(まあこれがこの本の要旨か)。