多様性(ゆらぎ)→選択→多様性というメカニズムを持つものだけが残った?
かなり、面白い。精子や卵子ができるときの減数分裂でかならず父由来遺伝子と母由来遺伝子の組み換えが起こる。つまり、父母は子供が孫になる遺伝子を作るときにはじめて真に遺伝的に交わるのだ。こうしたメカニズムで多様な(ゆらいだ)子孫を残し、選択(適応)により生き残り、また多様化した子孫を生み出す。DNAやRNAのレベルでも簡単なルールだけでオートマトン的に組み換えを起こす。紹介されているYouTubeの映像はおもしろい。
この「多様性と選択」のモデルについてはとてもよく理解できた。一方で、ここまでの環境が激変する地球においてはそういう、多様性をもつものだけが生き残ったとも言えるようなきがする。もっと安定した環境では多様性ではなく効率性が選ばれているかもしれない。しかし、ガラガラポンがおこらない保証はないので、結局は「多様性と選択」チームが最強なのかも。
最後の章で、デリダの脱構築やレヴィナスの話が出てきて、社会学的・哲学的な「多様性と選択」を「パロールとエクリチュール」を「RNAとDNA」に仮託して語るのだが、そこは言い過ぎではないだろうか。違和感が残る。ソーカル事件も取り上げているが、逆に「社会学・哲学でも多様性と選択の時代」なんだから、生命は当然そうだよね・・と言っているように読んでしまい、なんだか方向を変えたソーカル事件ではと?
個人的には、高齢の自分の父母の遺伝子が自分の精子の中でまじりあって、それがわが子に伝えられ、そしてその先に・・という多様性の未来への連鎖に生命の神秘・深淵を見たという気がした。