修羅の国、南アフリカで生きるということ
歴史的にも絶え間ない混乱と闘争の南アフリカ。アパルトヘイトが廃止されマンデラが黒人初の大統領となったのはつい最近のような気がしていたが、1994年のことなのですでに30年もたっているのか・・・(自分の成人後に起こったことはなぜか最近のことのように錯覚してしまう)。
南アフリカのノーベル文学賞作家クッツェーが1999年に発表した「恥辱」は、白人優位社会が崩壊していく南アフリカで生きて行く白人父娘を通して、修羅の国となりつつある南アフリカを描き、どこにも逃げ場のない閉塞感が濃厚、そしてその閉塞感は結局解決することはないまま息苦しいエンディングとなる。
父親の大学教師は女子学生(明記はないがおそらく黒人)と関係してセクハラで訴えられ失職。一方で、娘は黒人によるレイプの子を産んで、さらにかっては使用人だった黒人の第3夫人になっても南アフリカの農場で生きて行こうとする。社会の流れとはまた別の個人の人生がそこにはある。
実際の南アフリカ社会はその後さらに修羅の巷となっているようで、クッツェー自身もオーストラリアに移住している。犯罪率の高さ、HIVの蔓延、脱出する白人、現在の南アフリカで暮らすことのきびしさがひしひしと伝わる。(古書購入本)