El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

曾国藩

「男児志を立てて郷関を出づ」の人生模様

「曾国藩」とは何なのか、答えられる人は相当な歴史好き、それも中国史好きなんだろうな。曾国藩は中国の清朝末期の政治家(1811-1872)。清朝は1636年 - 1912年なので、清朝の最晩期の少し手前、日本で言えば幕末~明治維新の頃の人。何をした人かと言うと「太平天国の乱」を鎮圧して清朝の復興を成し遂げた人。

中国の人材登用試験・科挙を勝ち抜いて田舎から首都に、そして首都でも学問で頭角をあらわしーというわけで前半生は当時の中国の出世物語そのもの。頭脳で成り上がっていく。

ところが時代は「太平天国の乱」1851年 - 1864年、曾国藩はこの乱の頃、44歳~53歳という働き盛り。文官にもかかわらず乱の鎮圧を命ぜられ、まずは軍隊を組織するところからやっていく。組織するとか、法制度を作るとか文系的な作業や文章がずば抜けていたようだ。しかし、戦闘や戦略はまったくダメで負けては何度も死んでお詫びをしようとするくらい。

しかし「太平天国の乱」、内乱とはいえ14年の長期にわたり死者7000万人!同時期のアメリカ南北戦争の数十倍の死者、清の国民の3人に1人は死んだというから、世界大戦並み。その頃の清が人口過剰だったこともあるとは思うけど、すごい死者。

乱の内部抗争や曾国藩の周囲や後輩の働きで乱を鎮圧し、中国の次の王朝の創始者となるべきという声もあったようだ。しかし曾国藩はあくまでも官僚としての立場を崩さず、また汚職などもやらない清廉潔白の人で文章を書いたり日記を書いたり、いわば文人の一生を全うした。

現在で言えば、田舎から東大出て、起業なんてやらずに中央官庁でじっくり仕事に取組みある程度の地位までのぼって読書や文筆活動に喜びを見出しながら勇退、まあそんな人生。そこに「太平天国の乱」が突っ込まれている、というイメージ。まあ、勉強になりました。