El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

ネット右翼になった父 <Audible>

「ネット右翼になった父」という思い込みからの解放の物語・・・

「ネット右翼になった父」というタイトルにしかけがあって、最初は「そういう、右よりの高齢者っているよね~」なんて感想をもちながら読んでいると、その決めつけ=カテゴライズそのものが、決めつける側のステレオタイプなものの見方の結果だったという逆転の展開。つまり「『ネット右翼になった父』ときめつけていたダメな私」というのが本質。

一方で、私も含めてだが、昭和時代に大人になった世代がもっている昭和的な、男性主義的な、権威主義的な、鼻もちならない部分というのが確かにあって、そんな親世代を子供世代から見ると、一発レッドカードのとんでもない時代錯誤野郎に思えるのだな・・そして、そこに「ネット右翼」を感じるのは、昭和世代父と平成世代子の世界観のずれに起因するということもある。

「自分はちがう、もっと進歩的でリベラルな、アトムのオトシゴだ」ぐらいに思っていたが、この本読むとその自信は大きく揺らぐ。なんだかいつまでも新進の子供的な立場で親世代を批判的に見ていた自分が、いつのまにか子供にとって守旧的な昭和おやじと思われる立場に立っていた・・・、そしてぼんやりしていると子供との間の分断がすすんでしまう!ーその気づきは貴重だ。

最終的に、父親死後の検証によって、分断されていた父親との関係性を修復する。そういう自己回復の物語という意外な展開。