El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

大還暦

中身は乏しい・・・かな

還暦2回目の120歳を大還暦というらしい。「大還暦」や「死生観A」「死生観B」のTermが面白いと思って読み始めたが、中身は薄かった。

平均寿命が50歳だったり60歳だったりしたころには「死」は思いがけずやってくるものだったわけで、そのころの死生観を「死生観A」とする。

平均寿命が80歳、90歳になってくると生きるということの果ての果てに死があるという感じになる、そうなると死生観も変わってきて、それが死生観B。「死生観Bにおいては、人生はスケジュール化されている。人生の終わりを90歳頃に想定し、そこから人生を逆算して考えるようになった。死生観Bの世界では、誰もがそうした発想をする。」

この死生観Bによる死のスケジュール化は確かにそうで、若い人にはわからないかもしれないが66歳になってみて、また核家族化もあって「自分の最期までのことは自分でなんとかしなければならない」という意識もあるため、どうしても死期を85歳とか90歳に設定してそこまで5年ごと、あるいは10年ごとに人生の終盤をどう組み立てていくのか考え続けなければならない、ということになる。

自分の親も90歳前後で生きているのだが、彼らはたぶん「死生観A」で生きてきたのかな。高度成長期に寿命が急に伸びて、急速に「死生観A→B」への転換が起こったわけだ。親を見ていて思うのは寿命は延びたのに死がスケジュール化されていない世代だということ。気がついたら80歳、90歳になっていた、とでも言おうか。

そんな親を見て、次の世代である我々は「これは大変だ」と死生観Bで自分の死をスケジュール化するということでもある。

この本、この死生観A→Bへの転換についてはためになった。最終章の「学び続ける」あたりも啓蒙的かも。「アウトプットにまさるインプットはない」なんてキャッチフレーズが上手なんだな。しかし、後はまあ通俗的な高齢者の生き方論が並べてあるだけ(のようにも思う)。