El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

新・私の本棚 (9)シン・精神医療史・医師が読み解く『裏の裏』

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65歳すぎの元外科医ホンタナが、医学知識のアップデートに役立つ一般向け書籍をセレクトし、テーマごとに同世代の医師に紹介するブックレビューのサード・シーズン「新私の本棚・65歳超えて一般書で最新医学」。第9回のテーマは「シン・精神医療史」。

精神医療史は、約3年前に「精神医学の歴史とドラマがわかる良書」でも取り上げました。そこでは現在の精神医療界を支配しているといってもいいDSM(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders 「精神疾患の診断・統計マニュアル」)第3版(DSM-III)の誕生の歴史を読み解きました。ところがこのDSM-III誕生には、さらにおどろきの裏歴史があったのです。その裏歴史を「シン・精神医療史」として紹介します。

統合失調症と決めつけられ、募る不信感…
ジャーナリストの闘病記

この「私の本棚シリーズ」は正・続・新ときて、現在3シーズン目です。連載の最初のコラムは「エクソシスト病、40年越しの解明」というタイトルで、抗NMDA受容体脳炎を取り上げました。そのきっかけとなった1冊がアメリカのジャーナリスト、スザンナ・キャハランさんが自身の闘病記として書いた『脳に棲む魔物』でした。少し古い本ですが、まず『脳に棲む魔物』をもう一度振り返ってみましょう。

2009年、当時24歳の才媛の記者だった彼女が、希少難病「抗NMDA受容体脳炎」という自己免疫による脳炎になりました。しかし症状は統合失調症そっくりで、精神科医に統合失調症と決めつけられ、危うく命を落としかねない状態に。そこから神経内科医の奮闘で正しい診断にたどりつき、一命をとりとめました。その経験を書いた闘病記が『脳に棲む魔物』です。彼女は本書ですでに精神医学に対する不信感を表しています。さらに「抗NMDA受容体脳炎」のような「精神病になりすました病気の存在」を啓蒙しなくてはという思いが強くあったこともよくわかる一冊です。

そして、なぜ精神医学が患者本位ではないのか、その歴史を明らかにしたい、そんな気持ちが、次に紹介する本『なりすまし』へとつながっていくのです。

精神医療の闇「ローゼンハン実験」を追う

自分を生命の危機に落としかねなかった精神医療に不信感をいだいたスザンナ・キャハランは、ジャーナリストとして精神医療の世界の過去・現在・未来を、文献やインタビューを通して調査していくこととしました。2冊目の『なりすまし』はその報告書です。

まず描かれるのは、1960年代まで続いていた、中世の風景とも見紛うような収容所的な精神病院(日本には今でも同じような状態の精神病院がありますね)。邪魔になった妻を社会的に葬るため、精神科医に金を出して精神病と診断させ入院させた、などという黒歴史も描かれます。そこに第二次世界大戦前後(ユダヤ系のフロイト派精神分析医が、大量に米国へとやって来たことに発する)に起こった精神分析ブームが加わります。怪しげな精神病院と、さらにあいまいな精神分析に、アメリカの精神医療に対する国民の不信感は、1970年代になるとかなり高まっていました。

その不信感が爆発する起爆剤となったのが、書のメイン・テーマ「ローゼンハン実験」。ローゼンハンという心理学者が自分自身や部下・学生に統合失調症のふりをさせ(なりすまし)、なんなく精神病院に潜入・入院したうえで、その間に受けた役に立ちそうもない治療内容、診察時間などを細かいデータとして提示し、いかに精神医療がいいかげんなものなのかを暴露・告発する論文を書きました。その論文が、1973年の『サイエンス』に掲載されました。そして、その論文が火をつけたのか、「反精神医療運動」の結果として、精神病院の閉鎖や、診断基準の革命的な改訂(1980年刊行のスピッツァーによるDSM-III)が始まったのです。

ところが、スザンナがジャーナリストとしてその論文の中身を執拗に追ってみると、潜入したローゼンハンの記録やニセ患者の記録は、ローゼンハンが都合のいいように書き換えていた疑いが浮上します。さらに大半のニセ患者は、そもそも存在もしない架空の人物だった可能性も。多くの関係者はすでに死去しており、真相は闇の中ではあるのですが…。スピッツァーも、ローゼンハンの不正を知りながら自分の仕事に役立つとみて見逃していたような様子もあります。

「いいかげんな精神医療」をただすのに「いいかげんな論文」が使われ、そこからDSM-IIIが生まれたという皮肉。そしてさらに皮肉なのは、これらの改革の結果として精神病院が閉鎖されても、掲げられた社会目標だった「地域の中での精神疾患患者の受け入れと治療」が実現できるはずもなく、放り出された患者はホームレスになるか刑務所へ入ることに。精神病院に費やされていたコストが刑務所のコストになっていくというアメリカの現実です。

そしてDSM-IIIもその根本理念からずれまくり、新型うつ病やADHDのようなグレーゾーンの患者を作り出してしまいます。「いいかげんな精神医療」をただすのに「いいかげんな論文」が使われたが、その結果もまたかなり「いいかげんな精神医療」を増幅させた…それもかなり悪い方向に…。そんな時代の果てに、スザンナ・キャハランの脳炎の誤診があり、われわれを取り巻く現在の精神医療もある、という事実にたどり着きます。事実は小説より…ですね。

兄弟が次々と統合失調症に…衝撃の実話

精神医療のドキュメンタリーということでは、『なりすまし』の約1年半後に出版された『統合失調症の一族』も、別の角度からみた精神医療史です。タイトルもすごいですが、表紙カバーの家族の写真も圧巻です。階段に並ぶ10男2女の子どもたちを得たギャルビン家。8番目くらいが私と同年生まれなので、われわれとほぼ同時代の実話です。

子どもたちが小さい頃の、子だくさんで幸せそうな写真。しかし思春期になっていくにしたがって、男の子10人のうちの6人が次々と精神の異常をきたし、統合失調症と診断されていきます。天使のような子どもたちが、病気によってまるで悪魔のような行動をとるようになっていく過程、そしてそれが次から次へと…。平静を装うかのようにすべてを支え続ける母親、11番目と12番目に生まれた女の子である、マーガレットとメアリーの、翻弄される人生。これはもう悲惨という言葉だけでは言いつくせません。

全45章は、それぞれの子どもたちのトピックを描きながら、5~6章ごとに医学としての統合失調症の研究の歴史を織り込みます。そしてその研究が、ギャルビン家を対象とすることで一体となって進んでいくのも読みどころです。精神の異常をきたした息子たちはあっという間に生活が立ち行かなくなり、結婚は破綻。無理心中あり、薬剤による死ありで、もう本当に大変です。後半はマーガレットとメアリーが主役に。成長して結婚し、一家と距離をおくマーガレット。かつての母親のように一家を支えようとするメアリー。まさに患者目線、そして患者の家族目線で見た統合失調症一族の歴史です。

研究面では、遺伝子工学の進歩によってギャルビン家における遺伝子異常(SHANK2)が明らかとなり、治療法につながりそうな発見もあります(遺伝重視の治療)。一方で、リンジーが自分の子どもたちの発病に対し、予防的に介入して効果をあげます(こちらは環境重視)。そうした「遺伝か、環境か」という議論も踏まえながら、リンジーの娘ケイトが、統合失調症の研究者を目指すところまでが描かれます。

この本はマーガレットとメアリーの、自分たち家族の歴史を世間に知ってもらうため、記録として残そうという強い意志のもと、彼女らの全面的な協力で作られたようです。集められた膨大な資料や個人的記録から生み出された500ページです。リアリティにあふれたドラマを読むことで、統合失調症の疾患概念・その歴史的変遷・治療の変遷などを教えられました。著者ロバート・コルカーの筆力にも脱帽しました。

まとめと次回予告

スザンナ・キャハランの『脳に棲む魔物』『なりすまし』、ロバート・コルカーの『統合失調症の一族』。この3冊のドキュメンタリーは、医療者ではなくプロのライターが書いたものですが、そこに書かれている「真実のリアリティを損なうことなく読者をうならせる構成力や文章力」には圧倒されてしまいます。いやあ、すごいです。

さて、今なお日本中、いや世界的にも猛暑が続いています。あまりにも猛暑が続き、猛暑であることが異常ではなく日常になってきました。寝苦しい夜が続いています。そこで次回は眠りについての3冊、『睡眠の科学 改訂新版』『時計遺伝子』『睡眠専門医がまじめに考える睡眠薬の本』を読み解いてみたいと思います。お楽しみに。