途中から精神訓話に・・・残念!
半分くらいまではとても面白い。
多くの動物には「老後」はない、「老い」が始まったらすぐに死ぬ。
「老い」は具体的には「幹細胞の老化(=遺伝子変異の蓄積)」と「細胞がターンオーバーしない臓器である脳と心臓の老化」により起こるが、多くの動物では遺伝子異常を抱えた幹細胞は排除される機構が強力なため、遺伝子異常細胞が増えてくると生体を維持できなくなって死ぬ。つまり「老い」は「死」に直結している。遺伝子異常蓄積理論から導かれるヒトの本来の寿命は55歳くらい。
ヒトではこの遺伝子異常排除機構がゆるいため「老い」が「死」に直結せず「長い老後」を過ごす。おまけにその老後期間は遺伝子異常のために「がん」が起きやすい。
ではなぜ、そのような「長い老後」を持つヒトが進化的に選択されて存在しているのか?それはそれが進化的に有利だったから・・・と、ここまでは面白いし納得感があり、さあその答えは・・・と期待して読み進むと。。
「おばあちゃん仮説」「おじいちゃん(シニア)仮説」と話がすすんでしまうと、急に社会科学みたいになって、おばあちゃんが子育てに、シニアが社会の安定に役立つから進化的に有利・・・それってどうかなあ?それは結果論じゃないの?
そもそも平均寿命が55歳くらいの頃の人類が進化的に適正だったんじゃないのか。まれに長寿者がいても平均的には事故や戦争や感染症もあって55歳くらい。それが抗生物質やら栄養状態の改善やら文明力で無理やり伸ばして85歳までも生きているのが現状。そう考えると、「おばあちゃん仮説」「おじいちゃん(シニア)仮説」はその無駄に長い老後の仕方のない使いみちとして結果的に生じてきた現象なのでは・・・というのが私の感想。
後半は1963年生まれの著者が考える高齢者の生き方論みたいな人生訓話になってしまい拍子抜け。
<追記>オスとメスの進化生物学。妊娠可能な期間の男女差(男15歳~65歳、女15歳~45歳)、1妊娠期間(280日)などから人口増加のための最適寿命が導き出せるのではないか。具体的には、男女比1:1で生殖可能なメスで妊娠していないという状態をできるだけ少なくするためには妊娠させうるオスの確保ができて、かつその群れが食べていけるだけの生活力が確保されることが必要。そのためには、一夫多妻という条件で、生殖可能で家族を養える男が長寿であることが人口増加にとって有利になる可能性はある。その結果、長寿遺伝子をもつ男の子孫が増えるとその子孫は男も女も長寿になるだろう。意外と正論かもしれないが現代のジェンダーフリー社会では主張しにくい仮説か。