El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

窯変源氏物語(7)

㉔胡蝶・㉕蛍・㉖常夏・㉗篝火・㉘野分・㉙行幸・㉚藤袴

玉鬘十帖うちの三番目から九番目まで。美女・玉鬘を中心にうごめく男たちも次第に光源氏世代からその子供世代になっていく。それは、やがて頭の中将の息子である柏木が源氏の妻・紫の上との間に不義の子をつくるという因果応報へ向けての展開でもある。

胡蝶(こちょう)・・女たちはお見通し。いろいろ理屈を言いながらも源氏が玉鬘をものにしようとしていることを葵の上はお見通しだった。それをあけすけに言われた源氏はかえって逆上し玉鬘のところにきて関係をせまる。窯変源氏物語では関係があったようななかったような書きっぷりだがよくわからない。それにつけても源氏の色好みは際限がない。

(ほたる)・・玉鬘の養父でありながら、女性としてものにしたいという源氏の下心は相変わらず空回り。源氏は逆に兵部卿の宮(源氏の腹違いの弟)と玉鬘の仲を取り持つような逆説的な行動をとってみたり、紫の上に「物語論」で議論を吹っかけて、女性の恋に恋する気持ちがわからないこと、ひいては源氏が真の恋などできないことを見抜かれる。このあたりは極めて現代的。ドラマでもよく出てくる、こういう真の恋ができないプレイボーイ。

常夏(とこなつ)・・この玉鬘十帖は源氏が36~37歳。季節を追いながら次第に源氏や内大臣(元・頭中将)が親世代として子供世代の動向に右往左往する。源氏が玉鬘に執着するのも失われていく若さへの執着なのかも。内大臣が見出したもう一人の娘がとんだ山出しで、その対比としての玉鬘の美と洗練が強調される。常夏(とこなつ)は季節を表すとともに、玉鬘の母・夕顔の別名(頭中将が当時そう呼んでいた)。

篝火(かがりび)・・(短い帖)抒情的に「夏の終わり」じつはここが源氏の生のピークなのかも。

野分(のわき)・・野分と書くと情緒があるが「台風」。台風に見舞われた源氏の町「六条院」、源氏と息子の夕霧が被害状況を見回りながら女たちを訪ねる。夕霧は紫の上、玉鬘といった美女を見知るが、自分の女性関係は発展させることができず源氏は息子がその方面に奥手であることを嘆く。

行幸(みゆき)・・冷泉帝の大原野行幸である意味社交界デビューとなった玉鬘。玉鬘が自分のものにならない源氏は、それならいっそ玉鬘を尚侍(ないしのかみ:宮中の女官の長、帝の寵愛を受けることもあり)にして帝のそばに送り込もうと計画。その計画の一部として玉鬘と実の父・内大臣(元・頭中将)を引き合わせる。

藤袴(ふじばかま)・・玉鬘が尚侍になること、実の父は内大臣であったこと、祖母(=内大臣の母・大宮)の死で喪中となったこと、など前提条件が様々に変化する中、源氏の息子・夕霧、兵部卿宮、鬚黒の大将が尚侍になって帝の女になる前にと玉鬘にアプローチをする・・・。源氏の思惑が喪中というモラトリアム期間のために壊れていく。

全14巻のうち半分を読了。