El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

増えるものたちの進化生物学

進化をゲーム理論的にとらえると・・・意外に哲学的!

章ごとにまとめると次のように..

  1. 原始地球で生まれた「増えて遺伝するもの」が進化していった果てが人間を含む生物。その本質は①増えること②形質を次世代に伝えること③ただし変異をすること。①②③を繰り返しながら「増える」ことに有利なものが生き残り、変異の蓄積が進化。
  2. 増えるための作戦として「多産多死」(細菌やアメーバ)と「少産少死」(多細胞生物から人間)があり、「少産少死」派の成功の末に人間がある。少産少死では繁殖できるまで時間がかかるので「命」を守ること(=長命)が必要。ただし、本来は繁殖できなくなったら死んでいたが、さまざまな要素で死ななくなりますます少産少死が進行。
  3. 社会性の獲得、利他性もまた「少産少死」で「増えて遺伝する」ことの推進にかなう。
  4. 性があることは、有性生殖による遺伝子混交が変異機会を増やしてきた。
  5. 「幸せ」とは「増えて遺伝する」ための鼻先のニンジン。伴侶を得たり子を得たりしたときの幸福感もまた進化の目的にかなうものであり、幸福感が長続きしないのも同じ理屈で説明できる(増えるしくみとしての幸福感)。
    「幸せになるために生きている」のでは当然なくて、「増えて遺伝するものの存在に目的や使命はない」→すべては「増えて遺伝する」という物理現象の結果であり過程でしかない。
    ではどうやって生き続けるのか・・「生きることに目的や使命はないが価値と生きがいはある。」学問や芸術や文化は「増えて遺伝する」ことには直接役にはたたないが「生きがい」をもたらす。

という具合で、すべてを「増えて遺伝する」ことへの合目的性でとらえなおすことで、長寿、男女の愛、幸福感、生きがいなども理解可能。かなり牽強付会なところもあるが、真実はこのように単純なのかもしれない。

「すべてを増殖と進化への合目的性というコテコテの唯物論で解説できる」というわかりやすいだけに胡散臭さもある。戸田山和久の「哲学入門」に近い立場。

一方で、必要以上の長寿、行き過ぎた少子化などは「増えて遺伝する」という根本原理からすでに逸脱しつつあるとも言えるのでは?まあ、現代日本の有様が一時的なゆらぎでありガラガラポンの大災害や大戦争でまたもとの「増えて遺伝する」社会にもどるのかもしれないが。